『マラソン100回の知恵』(原章二・平凡社新書)

これまでに何冊か、

ラソンのトレーニングについての本をよんだ。

この『マラソン100回の知恵』はわたしにとって、

ラソン本の決定版になる気がする。

ラソンをめざすランナーのレベルはさまざまであり、

当然それぞれのレベルにおうじたトレーニング方法がある。

それにもかかわらず、

ラソンについてのおおくの本は

一流ランナーや、

彼らをそだてた指導者がかいたものだ。

そうした本は、

おおくの市民ランナーにとってやくにたたない、

というのが本書の主張である。

レベルがちがえば練習法もちがうし、

目的とするレース内容も別のものになる。

ながい時間をかけて

ひとつのレースにピークをもってくる

一流選手の練習方法が参考になるのは、

ほんのひとにぎりのランナーでしかない。


では、どうすればいいのか。

スピードよりもゆっくりながくはしれるちからを重視し、

たくさんのレースに参加する、

というのが著者のこたえだ。

それでじゅうぶんマラソンのたのしさをあじわうことができるという。


著者は

「市民ランナーとは練習不足のランナーのことである」

と定義している。

ほんとうにそのとおりだ。

わたしたちに満足なトレーニング環境がおとずれることはない。

つねに練習不足でレースにいどむしかないのだ。

レースを中心に生活をくみたてるわけにはいかないので、

どうしても不十分な準備のままスタートをむかえることになる。

でも、そんなことは市民ランナーにとってあたりまえのことなのだ。

それでもなんとか月に150キロという最低限の距離は確保して、

ゆっくりと、できるだけながくはしれる力をつける。

そしてたくさんのレースに参加すること。


そうやってなんどもレースにでて、

やがて4時間をきれるようになったら

ラソンから「卒業」してつぎの段階をめざすことを

著者は提案している。

そのままスピードアップをねらって

3時間30分をきることをめざすのは、

まったくちがう段階にはいることであり、

よろこびよりもくるしみがましてくる。

おおくのランナーにとってそれはけしてたのしいことではない。

それよりも、それまでのつきあい方から「卒業」し、

ウルトラマラソントライアスロンという

別の道にすすんであたらしいたのしさをあじわえばいい、

というかんがえ方だ。


わたしはまだマラソンを経験したことがない。

練習不足を理由にレースにでることをためらっていた。

とにかくフルマラソンをいちどはしってみないとどうにもならない。

はしるのはたのしいことばかりではないけど、

スピードをもとめないのであれば

なんとかできそうだ。

最初は5時間をきることをめざして

とにかくレースにでてみよう。

(吉田 淳)