脚をきたえる

8月におこなわれるスイムランのために、

そして、いつかは出場したいフルマラソンにむけて

時間をみつけてはトレーニングにとりくむ。

これまでにくらべ、

だいぶいい準備ができているものの、

レベルとしてはまだまだ初心者クラスだ。

ゆっくりの練習ばかりをつづけてきたせいで、

からだは回転をあげることをおさえようとする。

得意のはずの水泳でさえスピードはあがらない。

すごくゆっくりにみえる

となりのコースのひとのタイムが、

自分よりうえだった、ということがよくおこる。


スピードを意識してはしるようになってから、

ほかのひとのはしりぶりが気になるようになった。

練習中のランナーやクラブ活動の生徒ばかりでなく、

配達中のひと、

ゴミ収集車に並走して仕事をするひと、

理由はわからないけけど、

とにかくなにかにいそいでいるおじさんなど、

町をはしっているひとはあんがいおおい。

バネのきいたはしりをするひとや、

いくらでもつづくような軽々としたはしり方をみると、

うらやましくおもうし、率直に感心する。

わたしのはしりはまだ全然おそく、

練習中にもぬかれてばかりだ。

はしっていてもどこか足が地についておらず、

フラフラ状態のことがおおい。

じっさいは、タイムをどうこういう以前の状態なのだろう。

競争相手は自分、ということが

リアルに実感できる。

自分よりはやいひとはいくらでもいて、

そんなひとたちに競争心をもやしたところでしょうがない。

あくまでも自分が相手の

まったくの初心者ランナーだ。


それでもレースには出場する。

レベルはひくいし練習はたのしいことばかりではない。

なぜいまさらくるしいおもいをしてまで

はしるかほんとのところよくわからない。

自分なりの理由があるはずなので、

そのうちかんがえを整理したい。

フルマラソンをはしりおえたあと、

わたしはなにを目標にはしりつづけるだろう。

いまはまだこたえをいそがなくてもいい。

いまはただ脚をつくっていこう。

(吉田 淳)