『負け犬の遠吠え』再読

新年をむかえるにあたり、

わたしがなんとなくひもといたのは

名著『負け犬の遠吠え』(酒井順子講談社)です。

6年ほどまえにこの本が発見した負け犬という概念は、

はたしていまも生きのびているでしょうか。

発売当時、タイトルから内容を想像しただけの

空虚な拒否反応がおこりました。

(わたしは負けてない、とか

負け犬でなにがわるい、など)。

でも、この本は

最初から最後まで

おおむね80%の冗談(悪ふざけ)と、

20%の本音、という力かげんでかかれており、

普通によめばすごくわらえる本です。

それまで普通に生息していたのに、

酒井さんにいわれるまで気づかなかった負け犬的生き方が

市民権をえるきっかけとなりました。


よみかえして気づいたのは、

オスの負け犬についての大胆なきりすて方です。

酒井さんは彼らを


・あまり生身の女性には興味の無い人

・女性に興味はあるけれど、責任を負うのは嫌な人

・女性に興味はあるけれど、負け犬には興味の無い人

・女性に興味はあるけれど、全くモテない人

・女性に興味はあるけれど、単にダメなひと

と分類しています。


オスの負け犬にあうとき酒井さんは、

「いったいどこに欠陥があるのか?」

という「きめつけ」の視線で相手のアラさがしをされるのだそうです。

だって、30代半ば以上のオスの負け犬は、

「上記の4タイプのうちのいずれかであることがまちがいない」から。

「単にダメなひと」って、

あまりにも残酷ないいかただけど、

でも、そういわれたらたしかにいるような気がします。


「負け犬にならないための十カ条」にあるのは


・「・・・っすよ」と言わない

・腕をくまない


などです。

こまかな点だけにリアリティがあり、

まさに「神は細部に宿る」といえます。


「負け犬になってしまってからの十カ条」というのもあります。

わたしのすきなのは


・落ち込んだ時の対処法を開発する

です。


負け犬はそのライフスタイルの必然で、

おちこむこともよくあるけど、

「その落ち込みは周期的なものであり、

そう長くは続かない」から

深刻になやまないですむ

技術的に処理できる対処法をもてばいいのです。

負け犬でなくても必要な人生訓ではありませんか。


そして「十カ条」の10番目は、なんと


・突き抜ける

です。


「ここまできたら下手に何かを変えるより、

行くところまで行くしかないじゃん」

という究極のひらきなおりにふかく納得しました。


本のおわりで酒井さんは、

「負け犬はしばしば、『私の人生、こんなハズではなかった』

といったことをいうものです。

が、『こんなハズ』通りになっていたとしてもまた、

人生はつらいものであったことは、

おそらく間違い無いのです」

とかかれています。


たしかに。

結婚としあわせはけしてイコールではありません。

結婚すればしたで、

なんだかんだとわずらわしいできごとが満載だし、

老後だって結局はひとりでむかえるケースがおおい。

「わたしは負けてない」とかいってあらがうよりも、

キャンキャンと腹をみせたり、

ときには「遠吠え」してウサをはらしたりして、

「突き抜ける」ことが

ろくでもないことにエネルギーをつかわないですむ

賢明な生き方という気がしてきます。

老後をむかえるころになると、

負け犬も勝ち犬も大差はなく、

それなりにどっちもどっち、

という状況をむかえることが

この数年でだんだんあきらなかになってきたのではないでしょうか。

(吉田 淳)