いんべのひいじいちゃん

3年ぶりの水郷祭とっても感動しました〜!

久しぶりに長い時間綺麗な花火を見て思い出したのは亡くなったひいじいちゃんでした

私が小学1年生か2年生のころにお別れしました

さいころ毎週のように週末はお父さんといんべの祖父母の家に行っていましたが働き者のひいじいちゃんはいつも畑へ出ていてあまり会うことがなかったです。「いんべじいちゃんまたおらんのー?」これが私の口癖でした

ですがたまに畑を早く終わらせて帰ってくることがあり、そのときは「おー!きちょったか!!りんかまたおーきなったなあ」と私の頭を大きな硬い手でガシガシしながら優しい笑顔を向けてくれるひいじいちゃんが私はとっても大好きでした

そんな大好きなひいじいちゃんが亡くなったとき私は生まれて初めて人の死というものを体験しました。綺麗な木の箱に入ったひいじいちゃんは花火がたくさん描かれたジンベエを来ていました。

「なんでいんべじいちゃん花火の服着とるの?」とお父さんに聞くと「おじいちゃん昔花火が大好きすぎてたまにお祭りで打ち上げてたんだよ」と教えてくれました。生きているときそんな話一度も聞いたことなかったのでびっくりしたんです。

いんべじいちゃんに花火のこと聞きに行かなきゃ!さっきエレベーターみたいなやつに乗ってどっか行っちゃったけど帰ってきたら聞こ〜っと!とワクワクしながら待っていました。しばらくするとアナウンスで呼ばれたので急いでおじいちゃんのところへ行くとそこには人間の骨がありました。今は火葬されて出てくるんだから当たり前に骨で出てくるのだと理解できますが小学生の私にはあまりにも衝撃的な光景でした。なんで人の骨があるのか、おじいちゃんはどこへ行っちゃったのか何もかもが分からずワクワクしてきた気持ちは一気に恐怖へ変わりました。横を見るとひいおばあちゃんが体を震わせて泣いていました。その姿を見てこの骨はひいじいちゃんなんだ、人が死ぬということはこうゆうことなんだと頭ではなく体で、雰囲気で小さいながらに理解できました。

先日の花火を見ながらそんなことを思い出し「結局花火の話は出来なかったなあ、空から見てるのかなあ、ひいじいちゃん今日みたいに花火をたくさん打ち上げて大勢の人たちを感動させてたなんて凄いや」と綺麗な花火にひいじいちゃんの顔を重ねてあの優しい笑顔が恋しくなった村上でした。

明日は売豆紀さんです