合理的配慮2
先日、とある精神科のドクターに10数年ぶりにお会いすることになった。
おたがいまったくのオフなので、くだけた話もふくめながらも、ドクターに出会った頃のよき思い出やおたがいの近況もふくめていろいろお話ができた。
そのドクターは、パッチアダムスを日本で実写化したような先生だ。
いや、同じ時期に同じことを日本とアメリカで形はちがえどおこなっていた、のほうが正しいかも。
患者さんの笑顔をひきだすために、緻密な研究はもちろんのこと、道化にだってなる。
最新のコスチュームを数枚写真をみせてくれた。
こんなのが病院にいたらと考えるだけで吹き出してしまうレベル。
「先生の意思を私もしっかり受け継いでますよ」と
まけじと、ボジョレーの自分のコスプレの写真をみせた。
話は変わり、ドクターにこんなことを伝えた。
ある利用者が、ずっと作りたがっていたケーキを作ることができ、その時の喜び、笑顔がものすごくすてきだったこと、それを「やるべき」と伝え、実現してくれた職員に感謝したこと。それが他の職員にまで派生して、あらたな関わりができたこと。
利用者の想いを形にすることの大切さを学ぶ機会ができたこと。
ごくごく直近、ドクターにお会いすることが決まっていたわけではないにせよ、時を同じくして、「パッチアダムス」にでてきたエピソードを回想するきっかけになったことを、うれしく話をさせてもらった。
ドクターやパッチアダムスに出会っていなかったら、
私自身、利用者の声や想いに耳を傾けず、
重きをおかずに、スルーしていたかもしれない。
昨日の田崎さんのブログ「合理的配慮」に話が近いかもしれないが、
我々は、何に配慮しないといけないのでしょう。
彼らの一挙手一投足にメッセージが込められている。
そういうアンテナをはって、かかわり、必要な関わりを必要なほどすることこそ大切にするべきなのかもしれない。
川上