みたて

夕方のミーティング。

1日の定例の申し送りが終わった頃に、すこし時間をもらって

ひとりの利用者について私の感じていることを職員に伝えた。

見立て次第で、その人への支援の方向性はものすごくかわってしまう。

だから、対応ひとつにとっても、職員でもっと関わりについてディスカッションしたり共有してほしい。そんな想いを伝えた。



こだまに出会うまで、

いろいろと苦労が多かった利用者だと聞いていた。

きっと悔しい想いをしたりすることも多かったのだと思う。

だからこそ、今彼にしてあげられることはなんだろうと考えるようにしている。



障がいの定義があらためられ、社会的障壁こそが一番の障がいととらえられる時代において

支援者の思い、主観的な倫理観や道徳観が先行していると支援は思うようにいかない、と福祉サービスのあり方としてよく言われるようになった。

そもそも、彼はそんな「支援」を受けたいと思って、来てはいないはずだ。

だから彼の感じていることはなんだろう、なぜそんな行動をしていて

何をもとめているのだろう、

そんなことを常に考えるのが必要なのだと。



こだまにはいろんな強みがある。

柔軟さ。寛容さ。臨機応変に利用者に対応できる力。

利用者の好きなこと、得意なことをよくしって活動に活かしてくれること。

諭すのではなく考える時間をあたえ行動をまつ姿勢。

できたことに諸手をあげて一緒によろこぶ共感する力。

それをよく知っているのが実は彼のような存在なのかもしれない。

だからこだまに来てくれるのではないのか、と思う。


ボジョレーを届けにいった際にはじめて彼のお母さんにあった。

息子さんをしっかり大切に愛して育てられてきたのだと

お礼をいわれるお母さんの言葉や、その表情にそれを強く感じた。


お母さんや家族に安心してもらうことも支援のひとつ。

彼がこだまにくることを楽しみにして来てくれていますように。

その中で、自然と輪に入り、自然にこつこつとできることがふえていくような支援ができますように。

支援者は、彼らがいきいきとした表情ですごすためのサポーターのような役割なのだと思うのです。

川上