他人の力を借りる大切さとそのルール

渡部家では、ある論争が巻き起こっています。


「息子が自力で起きられるようになるには」


が今回の論争のテーマです。


いや~、僕の子どもの頃もそうだったように

息子『哲平』が朝に弱く、今だに自力で起きる事ができないのです。

歴代の目覚まし達も全く効果がありません。

さすがは我が息子です。大物の片鱗をすでにこの時から見せているではありませんか?


その行為に対して

お母ちゃんはもちろん

「自分の責任で、朝は起きさせればいい。起きなければ遅刻もやむなし。」

という自己責任派。

僕も当初はお母ちゃんと同じく自己責任派でした。

なぜなら、お互いに愛しき息子の将来を案じての事。

社会人となり1人ぐらしからの生活を照準にしての親の気遣いとでもいうのでしょうか?

お母ちゃんと違うのは、起きれる方法を一緒に探し出す事と

起きれずに遅刻しても一切怒らない事を条件としていました。

実際は最後には切れて怒っていましたが・・・。


しかし、考えが変わったんです。

ここ最近でのこだまの仕事で得た経験とある本との出逢いをきっかけとして・・・・。


まずは、息子の本当の気持ちにたって考えているのかどうか?不安は何なのか?

具体的に困っている事、出来ない事、挑戦しようとしている事等

まずは自分や親としての価値観を押し付けるのではなくて

息子の本当の気持ちを受け止められるような環境づくりの必要性を認識できました。


「他人に頼んで起こしてもらうのも作戦の一つ。 

              ある意味自力で起きた事と同じと認める事が大事。」


と、肯定的に捉える事の必要性も学びました。そして息子にはこう伝えました。


「他人の力を借りて目的を達成する事もりっぱな自立であり、お前特有の能力だよ。

 しかし、相手があってのことであり、相手に対しての守るべき約束が3つある。

 必ず、守ってほしい。」と・・・。

一:相手に感謝の念を抱く。相手に伝わるように態度、言葉で直接伝える。

弐:その恩義を、近い将来、自分の得意分野でも構わないので返していく。

参:その人に、何か頼み事をされた時には、最大限の誠意を見せる。


これ、大事です。ある意味、自力で起きられない事によって気づけた教えです。


しかし、親はやはり欲深い。というのか、僕個人の欲求?

良くないのかもしれませんが・・・。

やはり、他人の力を借りずとも、近い将来、自分1人の力で

起床できるようになってほしいとの欲求がどどどどどんと強くなりました。

そこで息子に、まさかの注文をしてしまいました。


「哲平よ。人生には常に2つの道がある。

お父の教訓としては、必ず、どらかの道に進まなくてはならないのではなくて

時としてはどちらの道も進んでみてゴールを確認できたなら

また岐路のスタートに立ち戻り、どちらの道に進むべきなのか

新しい道を切り開くべきなのか、考えてみるといいよ。

他人の力を(感謝の気持ちを持って)借りる事で

『起きれる』という目的を達成するのも一つの道だが

もう一方で自分1人の力で起きれる道を信じ突き進んでいく事も大事だよ。」


とカッコつけて言ちゃいました。

結構、自信を持ってのアドバイスでした。僕的にはですけどね。


息子にはどのように心に響いたのでしょうか?

ちょっとうさんくさく感じたのでしょうか?


今回の事に限らずに、何かの目的を達成するべき時には

自力と他力を上手に駆使できるようになってほしい。

相手の得意を認めそれを活かしつつ、自分の得意で相手を助けながら

共にゴールへと向かっていくような人間になってほしい。


まずは自分が。ですね。

                          

                         と願う渡部でした。


明日は田崎さんです。よろしくです。