「火垂るの墓」と僕と子どもたち

野坂昭如原作 高畑勲監督の「火垂るの墓」を皆さんご存知でしょうか。

宮崎駿監督と双璧をなすアニメ界の巨匠である高畑勲監督作品であり

多くのマスメディアに宣伝、紹介されたため

皆さん、一度は御覧になった事があると思います

最近、ふとした光景や子供たちの楽しそうに遊んでいる光景を見ると

なぜだか、必ずと言っていいほど作品のワンシーンが思い浮かんできます。


疎開先の折り合いの悪い叔母の家から池の畔にある防空壕へと

2人がリヤカーに乗って旅立つシーン。二人の笑顔が忘れられません。


野菜を盗もうとして捕まり罰として折檻を受けた清太に節子が慰めの言葉をかけるシーン。


栄養失調のため日に日に体力を消耗した結果

意識朦朧とする節子を抱きかかえて堪え切れずに号泣をする清太の姿。思わず涙が・・・。


そして冒頭のシーンである三ノ宮駅構内で

節子の大好きだったドロップスを手に握りながら

朦朧と死を待つ清太の横を無情にも通り過ぎていく人々のシーンとつながります。

清太はあと少しで消えていく命の灯り火の中で何を思ったのでしょうか?


僕にはわかるような気がします。

彼は多分、節子を守れなかったのは自分のせいだ。

と自分の弱さに対しての怒りと

節子に対する謝罪の気持でいっぱいだったのではないかと思います。

数年前の僕なら

「何て酷い叔母なのだ。周りの住人も同罪だ。

三ノ宮駅構内での瀕死の子どもたちにも見向きもしないで

通り過ぎ去る大人たちを絶対許してはいけない。」

という気持で怒りに震えていました。


しかし、この物語はそんな単純な話ではない。

戦争という毎日が死の恐怖でおびえるような極限状態の中でならば

僕を含めて多くの人たちが

清太の叔母や周りの農民や駅構内の通行人のような対応を取ってしまうのも

無理はないかと思います。

理想でいうならば、本当は自分の子どもと同じように全ての戦争孤児に対して

最後まで手を差し伸べてあげたいと思うのですが・・・。

現実から目をそらしてはいけない、そんな気がします。


今の僕ならば清太にこう助言すると思います。

「なぜ、君はお世話になっている叔母さんに対してあのような無礼な態度をとったんだ。

節子を守る事を第一に考えるのであれば

多少の事もグッと我慢をして頭を下げてでも戻るべきでないのか?

戻るんだ。清太。今は耐えろ。

生きるために耐えて、数年後、本当の強さとやさしさを持った大人になってから

大切な妹と二人で生きたいように生きればいい。」と。


人生は長い長いトンネルです。

希望への入り口は暗く沈んだトンネルを一歩ずつ突き進む事によって辿り着くもの。

トンネルの途中には何度も細く短い坑道が手招きをするように待ち構えています。

清太はその誘惑に負けてしまった。

出口から広がる世界にはどのような困難が待ち構えているかも深く考えないまま

希望の光と勘違いをして幼ない妹を連れていってしまった。そして・・・。


長くて暗いトンネルから抜け出し、近くの坑道へと進路を変えたい気持ちになるのもうなずけます。

もちろん、坑道に進路変更する選択肢がすべて間違えではありません。成功する場合もあるはずです。

しかし、坑道から出た世界には何の保証はないのです。

大切な人を、自分自身を守りたければ、強くならなければいけない。

その為には、まず、辛抱と忍耐強さを兼ねそろえた人間力が必要となります。

そのような教育が今、必要とされているのかもしれません。


ただね、僕は思うのです。

やさしすぎて決断を誤ってしまう人や、迷ってばかりの人もたくさん存在していいのかなあと。

その人がいるからこそ、がんばれたり、

また反対に

無償の愛で救ってくれる事もあります。

強い人ほど、真っ直ぐの道しか見えなくなって知らない間に危険な場所へ

突き進んでしまう事も多々あると思うので。


結局、何が言いたかったのか、よくわからなくなりましたね。

ごめんなさい。


ただ、一つだけ言える事があります。

人生は迷ってなんぼということです。

迷いがあってこそ、いろいろな真実が見えてくると言う事です。

みなさん、自信を持って迷いましょう。

やじろべえのように・・・。 

                         渡 部