空家から感じたこと

僕はどうしても空き家を見ると立ち止まらずにはいられない。

空き家から想像できる過去の情景を思い描く事で

ついつい感傷的になってしまう。


玄関先には蜘蛛の巣が貼り巡り、中庭には雑草が生い茂る。

錆びた三輪車や自転車が放置され

水道のホースが無造作に蛇口に掛けられている。


家が泣いている。

庭が泣いている。

三輪車が、物干し竿が、ベランダが泣いている。

主人の帰りを待っているかのように・・・・。


「どんな子が使っていたのかな。」

「今、何処で何をしているのだろう。」

「きっと幸せに暮らしているのだろうな。」

と自然とそのような想いが浮かんでくる。


そういえば、先日の墓参りでも同じような感覚に捉われた。

一箇所、どうしても気になるお墓があった。

お供え用の花は枯れ果て

周りは雑草で覆われて

あまりにも無残な状態だった。

お墓が泣いているように僕には見えた。

「僕が綺麗にしてあげたい。」

と心底、感じた。

しかし、結局は何もせずにその場から立ち去ってしまった。


20歳を過ぎ、すばらしい友人や最高の恩師に巡り会えた僕は

超スーパーポジティブ人間に変身した。

というより、元々潜在していたポジティブ脳が目覚めたのかもしれない。

それからというもの「何とかなるさ」思考により多くの困難や不安感を乗り越えてきた。

しかし、最近では

「このままで良いのかな?」

と立ち止まる勇気も必要ではないのだろうか?と思い悩むようになった。



なぜだか、廃墟となった家や荒れ果てたお墓を見ると

色々と大切なことに気づかせてくれる。


安閑とした不思議な世界に自分から脚を踏み入れる経験をする事で

心のヤジロベイを見失わないようにしていきたい。


世の中には不条理なことだらけが蔓延している。

不安と向きあい、不幸と向きあい

そこから目をそむけずに立ち向かう事で自分を変える原動力とする。


僕は必ず乗り越える。

自分の壁を一つ一つ、何クソ根性で乗り越えていこう。

                               渡 部