サッカー市場の流動性と自由

アジア杯がらみでおどろいたのは、

サッカー市場の国際性であり、流動性だ。

1月22日の準々決勝で韓国との延長戦をえんじたイランのゴトビ監督は、

その試合の2日後にもう日本をおとずれている。

次期シーズンで監督をつとめる清水エスパルスでの記者会見のためであり、

韓国とのはげしい試合などすでにとおい過去のできごとのように、

会見での意識はこれからはじまるシーズンだけにむかっている。

そして会見の5分後にはエスパルスの練習に合流したというから

すごいフットワークのかるさだ。

もしイランが韓国戦にかっていれば、

当然アジア杯での試合がつづいているわけであり

(対戦相手は日本だった)、

この「2日後に来日」というのは

いかにもプロの監督というドライな精神をかんじる。

イランとの契約はすでにおわったのであり、

今後はエスパルスで結果をだすことに集中するのが自分の仕事、

というわけだ。


岡崎はドイツのシュツットガルトとの契約のために、

アジア杯優勝のおいわいパーティーにも出席せずに飛行機にのりこんでいるし、

川島も長谷部も帰国しないでそのままチームに合流している。

ひといきついて勝利の余韻にひたることもない。

このきりかえのはやさがサッカーであり、

それができなければ生きのこれないのだろう。

チェゼーナでプレイする長友も

日本にかえらずそのままイタリアにむかった。

そしてインテルへの電撃移籍で世界をおどろかすことになる

(ここでいう「世界」は、文字どおりの「世界」であり、

日本のアイドルがアメリカでの公演で

「世界」へ進出したのとはわけがちがう)。


全世界が市場なので、

実力があれば世界のどこにでも居場所をみつけることができる。

イランの代表監督がJリーグの監督にくることも、

日本ではまだ無名の選手がヨーロッパの2部リーグへいくことも

なんでもありだ。

とわれるのは実力だけ。

セリエAプレミアリーグみたいに有名でなくても、

自分の実力におうじたチームでプレイしたらいいので

いきさきの可能性はどこにでもある

(サッカーをしていない国なんてない)。

自分のちからを評価してくれるチームをみつけ、

いろんな国でプレイする日本人選手はたくさんいる。

そして、ほんとうはそれはサッカーだけのことではないはずだ。

なんとなくずっと日本で、とおもいこんでいるけど、

どこでも生きられるという自由な精神はすごくすてきだ。

(吉田 淳)