なぜ中村憲剛がピッチにたてないのか

「勝てば官軍」とはこういうことをいうのか。

本大会まえの日本代表チームについて、

ほとんどのマスコミや評論家は

最低の監督によるまるでおそまつなチーム、という論調だった。

それがカメルーンにかちオランダに1点差でやぶれる健闘をみせると

「いけるぞニッポン」になり、

デンマークにかって

グループリーグをぬけるともうおおさわぎだ。

岡田監督は思慮ぶかい名監督とたたえられ、

選手たちもおおいにもちあげられている。

「○○選手にオファーが殺到」だの、

「しらざれるちょっといい話」

みたいなのがやたらと目につくようになる。


いっぽう1次リーグで敗退したフランスやイタリアは、

まるで天罰がくだったかのようなあつかわれ方だ。

栄枯盛衰は世のさだめとはいえ、

むなしさとはかなさがひときわきわだつ。

サッカーおいては微妙なバランスがちょっとくるうと

いくら歴史のあるつよいチームでもたてなおしは困難だ。

あっという間になにもかもが魔のサイクルにおちいって

わるいほうへ、わるいほうへとながれてしまう。

個人でいうと、セルティックであれだけ活躍をたたえられた中村俊輔選手が

いまや出番があたえられずベンチをあたためる。

反対に本田選手への賛美はなりやまず

日本の救世主あつかいだ。

なにがよくてそうなったのか、あるいは

どこがおかしくなって調子をおとしたのかの分析よりも、

とにかく点をとり、かてばそれまでのことすべてがわすれられる。

フリーキックで点がはいれば

それこそが日本の最大の武器と吹聴される。

あまりにも結果だけがすべてであり、

結果オーライで無責任にもちあげるマスコミの姿勢は

いつものようにすごくインチキくさい。


1966年のW杯では開催国のイングランドが初優勝した。

これについてイギリス人のジャーナリスト

エリック=パッティが

「悪質なタックルと

創造性のないパワープレーによって(中略)

イングランドは優勝した。

イングランドの将来にとっても、

世界のサッカーのためにも非常に残念だ」

ときりすてたことを

西部謙司さんが『おいしいサッカー生活』のなかで紹介している。

自分たちのチームを応援するときに、

かつことをもとめるのはもちろんだとしても、

自分たちのスタイルでたたかってほしいというねがいもまた

つよいのではないか。

わたしはどうも攻撃至上主義の傾向があり、

カウンター重視よりもどんどんせめるサッカーをもとめる。

今回の大会でいうと、チリのような超攻撃型がたまらなく魅力的だ。

そして、至上主義者がしばしば道をあやまるように、

手段と目的が逆転してしまいやすい。

かつだけでは満足できず、

うつくしくなければならない。

うつくしければ死んでも(まけても)かまわない。


いよいよ決勝トーナメントのパラグアイ戦。

コカコーラのコマーシャルみたいに

(サボテンと風船がだきあうやつ)

「ゴ~~~~~~~ル!!!」

とだれかれとなくだきあって得点を、勝利をいわいたい。

そいいう気もちになれる魅力のあるサッカーを期待している。

(吉田 淳)


前半をおわって0対0。

いまのところ世紀の凡戦。

両チームとも慎重すぎてあまりうごきがない。


このまま延長になったらもうねてしまおうか、

とおもっていた後半のこり10分に

ついに中村憲剛がはいってくる。

この大会になってはじめてピッチにたつのに

すごく積極的なプレイだ。

日本らしいパスサッカーがおこなわれはじめ、

ゴールのにおいがしてくる。

失敗することをまるでおそれていないうごきがたのもしく、新鮮だ。


ゲームは延長戦にはいる。

両チームともつかれてもうあまりうごけない。

どちらかというと日本がせめてはいるが、

カウンターをあびてのあぶないシーンもあった。

延長戦をおえても得点ははいらずPK戦へ。

駒野がはずして4-5でまける。

おおくの選手が目をはらしてくやしがっている。

でも、駒野をせめるひとはだれもいないだろう。

4年前とはちがい、全力でたたかったうえでの敗戦だ。