川上さんも書いていた友人がわざわざ広島から会いに来てくれて
夕食をともにした。その時の会話の中で
最近は近藤益雄全集を読んでいる。という話があった。
近藤益雄は、戦後長崎で小学校の教員をいているときに知的障害の子供たちに出会い
校長になったにも関わらず、自ら平教員に戻りその当時はめづらしかった誰もやったことのない
障害児教育をやった人である。その指導は学校だけに留まらず、
自宅に子供たちを住まわせ、卒業した後は一緒に畑や田んぼを耕しもした。
まだ日本に、障害児施設などない時期に「のぎく寮」を創設した。
日本の障害児教育や障害者施策を牽引した教育者である。
私が近藤益雄を知ったのは、学生時代に立ち寄った古本屋で
「その花は まずしくとも」という本との出会いからである。
自分たちが作った「のぎく寮」の日々を書いた本だった。
その後も何度も読み返している本で、今も本箱の中にある。
今回また引っ張り出してみてみると、
1959年3月31日に出版された本だった。
まわりは黄色く変色し、活版での印刷は字が小さい。
老眼の自分には少し厳しいが、また読み返してみようと思う。
もう一冊、「この子らと生きて」という近藤益雄写真集が出版されていて
その本も引っ張り出してきた。
昭和30年頃の施設の様子が写真におさまっていて懐かしくあり
とても温かいぬくもりが伝わってくる。
その中の益雄さんは、学生服のような詰襟の服に丸メガネをかけて
笑っている。とても温かい・・・・。
山田