うつくしくたべたい

セルフスタイルの食堂で夕食をとる。

焼き魚やらハンバーグやらマーボ豆腐など、

さまざまなおかずがあらかじめお皿にもられて棚にならべられている。

そのなかからすきなおかずをとるやり方の食堂だ。

わたしはサンマの塩焼きとキンピラゴボウとみそ汁をえらんだ。

それにご飯のおおもりをつけると650円ほどになる。

値段も味も、とりたてていうほどのものではないけれど、

家庭料理のような雰囲気がある。

「ごゆっくり」といってくれる店員さんの接客ぶりに好感がもてた。


たべながら、ほかのお客さんのふるまいを観察する。

いろいろなひとが利用していること、

きれいに食事をするのはあんがいむつかしいこと、に気づいた。


店にはいるまえは、独身男性がおもな客層のお店だとおもっていた。

でもじっさいは、中高年の夫婦づれや、

女性の「おひとりさま」や、

幼児をつれたお母さんもいて、

けして男性だけのお店ではない。

さまざまなひとがそれぞれの理由で便利にしている食堂だった。

ハレとケということでいえば、

あきらかに「ケ」の位置づけであり、

まったく日常生活の一コマとして利用されている。

女性にも、そして年配の夫婦からも、

抵抗なく利用されていることをおもしろいとおもった。


きれいに食事することはそう簡単ではない。

こまかな作法のことはわたしだって全然まもれないけど、

できればきれいに、おいしそうにたべたいとおもっている。

お店のお客さんのなかには、

足をくみ、ひじをテーブルについて、

いかにもめんどくさそうにたべるひとがいて気になった。

別のお客さんは、豚カツにマヨネーズと醤油をかけ、

それをまた小鉢にといたそのひと特性のソースにひたしている。

肉がさめると途中で電子レンジにもっていってあたためなおす。

丁寧なふるまいではあるが、

みているとおちつかなくなってくる。

たべるという行為をうつくしくすすめることは、

あんがいむつかしいことなのだ。

もちろん、それぞれが個人の時間を気楽にたのしんでいるのであり、

エレガントさをもとめるほうがむちゃなはなしだ。

あくまでも自分へのいましめとして、である。


いつもはあまり気にならないことが、

なんでこの食堂ではひっかかったのだろう。

定食という日常性がわたしの美意識を刺激したのかもしれない。

ひとからみられてはずかしくないよう、

食べ方に気をくばろうとおもった。

(吉田 淳)