介護は単純労働か?

日本の社会保障と福祉制度についてかかれた

ワーキングプア時代ー底抜けセーフティーネットを再構築せよ』(山田昌弘文芸春秋)をよむ。

題名にもあるとおり、

この本は「ワーキングプア」をきりくちに

日本の社会保障制度の問題点と、

その改革案がしめしている。


そのなかで、

【低賃金労働はなくならない】

として、


労働生産性の格差拡大は、

資本主義の構造転換、グローバル化に伴う現象であり、

後戻りできない。

雇用形態はともかく、

教育訓練がそれほどいらない単純労働は経済にとって必要であり、

検品する人、掃除をする人、ハンバーガーを渡す人、

レジを打つ人、ティッシュやチラシを配るひと、

介護する人などをなくすことはできない

彼らを雇用保障付きで雇うと、

グローバル化な中で日本経済は立ちゆかなくなってしまうだろう」


という個所があった。

「介護する人」は「ティッシュやチラシを配るひと」

とおなじで専門性はなく、「教育訓練がそれほどいらない単純労働」

という言葉にビクッとなる。

これは失言だろうか、それとも確信か。


なんだかんだいっても、

介護に対する一般的な認識はこの程度なのだろう。

介護業界の研修会などでは

「われわれの仕事に対する専門性に自信をもって」とか

「人をあいてにする介護は、誰にでもできる仕事ではない」

とかいわれてきたのに、

売れっ子の社会学者が

あっさりと本音をかたってくれた。


これまでに山田氏の『パラサイト・シングルの時代』や『新平等社会』をよみ、

いまの日本社会の現状をきれいに整理してみせる技にみとれてきた。

しかし


「教育訓練がそれほどいらない単純労働は経済にとって必要」だから

「介護する人などをなくすことはできない」


とまでいわれるととても賛成はできない。


たしかに、ある意味で山田氏の指摘はただしい。

だれにでもできる仕事、と介護がひくくみつもられてきた結果が

いまの日本の介護状況であり、

いかにも単純労働としての労働環境がつづいていた。

しかし、だからといって「介護する人などをなくすことはできない」と

本来あるべき姿としての介護労働を

ひくく位置づけることがただしいとはおもえない。

(吉田 淳)