ドキドキしてねむれない(ことなんか、もうない)

11歳のむすこがPSPプレイステーション・ポータブル)を

かうことについて許可をもとめてきた。

「モンスター・ハンター」というソフトがすごくおもしろいので

ほしくなったのだそうだ。

ほしいものがなんでもかんたんに手にはいるなんて

おもってほしくない。

とはいえ、全面的に否定するのはかわいそうな気がしたので、

「自分のお金でかうならいいよ」、と返事をする。

「そういうとおもってた」と、

むすこにとっては予想どおりの反応だったようだ。

それからは、貯金をおろしてかう4日さきの金曜日を

ずっとたのしみにしてまっている。

「あと○日と○時間でPSPが手にはいる」、

といちにちになんども購入までののこり時間をかぞえている。

ドキドキしてねむれないぐらいの興奮だという。


そんなに熱中できるものがあってよかったね、というと

「おとうはそんな気もちになったことある?」とたずねられた。

んーと、たしかあったような気がするけど、

いつまでさけのぼるんだっけ、

としばらくかんがえた。

よくあったことにおもえるのに、

具体的な例はおもいだせない。

子どものころにはよくあったことを、

わすれてしまっただけなのだろうか。

それともほんとに体験したことがなかったりして。


もっともらしいことをいえば、

このワクワク感は、

ほんとうは平凡な日常生活にもころがっている。

もうすぐ夕ご飯だ、とか、

もうすぐお風呂にはいれる、とかは、

たとえばながく入院していたひとにとって

切実なねがいであったろうし、

もうすぐスーパーでかいものができる、

ということだって

ある状況のもとではたいへんにしあわせなことだ。

ふつうにできていることがいちばんありがたいのであり、

毎日のなにげない生活は

ちょっと想像をはたらかせただけでも

奇跡みたいにありがたいことばかりだ。


ではありながら、

むすこがひたすらPSPをたのしみにまつのをみていると、

そうやってワクワクできるのは

すばらしいことなのだと

肯定的にうけとめたいとおもった。

平凡な日常生活に感謝することも大切だけど、

めったにないスペシャルな出来事に

こころをときめかせられることだって、

だれにでもできることではない。

大草原の小さな家』のローラが、

ほんのささやかなクリスマスプレゼントに

はげしく感動したことと、

むすこがPSPをたのしみにまつことは

まったくおなじ質のよろこびであるとおもった。


あすPSPをかう、というときに、

「だんだん商品券」をもとめて

郵便局にながい列ができている記事が新聞にのっていた。

むすこの口座は銀行ではなく郵便局にあるので、

「あしたのかいものはスムーズにいかないかもしれない」

といじわるなわたしがおどかしても、

むすこはまったくどうじない。

PSPが自分の手にはいる瞬間をしんじ、

それまでの時間をおちついてまっている。

自分のほしいものをしずかにまつことができるむすこの世界観が、

とてもこのましいものにおもえた。

(吉田 淳)