何かに目覚めた渡部です。

「天敬愛人」。いい言葉ですよね。「天は他人にも自分にも平等に愛してくださるのだから、自分を愛するように他の人々を愛せよ。」という意味なのですが、この言葉はかの有名な西郷隆盛座右の銘にしていた言葉なのです。

西郷どんの聡明で壮大な性格が読み取れる言葉ですよね。

しかし、現実はそうあまくないのです。そうは思っても、みんなを愛せるわけではなく、嫌いな人間は嫌いな人間であり、愛せるわけがない。「そんなきれいごとがこの時代に通用するわけがないだろう。」なんて思っている自分がいる。情けない話なのですが、これが今の僕の器。西郷どんに近づくには遥かかなたの話なのであります。しかし、あまり悲観的になっていないのも事実。現実の自分と理想の自分のギャップはギャップとして、それを楽しんでいる自分がいるのです。

西郷どん坂本龍馬のような器のでかい大きな人間になるためにはどうすればいいのか?

多分、無理でしょう。僕の器ではね。でも、何かわくわくするんですよね。何ででしょうかね。僕にも理由はよくわかりませんが、理想が見えているからなんでしょうか。それだけでも十分なのかもしれません。

勝海舟になりたい。ヘレン・ケラーになりたい。ウルトラマンになりたい等、「~なりたい。」という気持ちをもつだけでも人生が大きく変わるような気がします。「もしかしたら自分は歴史に名を残すようなとんでもない人物になるのかもしれない。」と勘違いしているのかもしれませんね。これも妄想の世界なのかな?


理想の自分に近づけるために、僕は僕なりに努力をしているのです。例えば、こんな運動に取り組んでいます。その運動とは、ありがとう運動。全ての行動に関して心から「ありがとう。」と思えるようになるための運動なのです。

「自分の足で歩けてありがとう。」「3度ご飯が食べれてありがとう。」「息が吸えることにありがとう。」「寝れることにありがとう。」とテーマを見つけて、できなくなった場合の自分を想定することで、あたりまえの行為に対して感謝するという運動なのですが、なかなか心から「ありがとう。」と思えない。「歩ける事実にありがとう。」と念じても念じても感謝の言葉が自然と沸き起こらない。「お母ちゃん弁当ありがとう。」と念じても、「外食行きたいなあ。」と他の欲求が沸き起こってしまう。う~ん、この運動は失敗なのでしょうか?なんて思っていたのも束の間、何ヶ月かつづけているうちに、何か変わってきたんですよね。不思議な感覚が全身から沸きおこってきた感じなのかな?自然と感謝する心が生まれ、生きる力が湧いてきたような気がするのです。

生きることは楽しいことよりも辛いことの方がよっぽど多い。これは僕の経験上、確信して言えることです。でもね、だからこそ、人生おもしろいのかなと思えるようになりました。「辛い。」と思えることは「幸せ」と紙一重なのかも。どう感じるかが問題なのかな?

答えが出る方法は僕も知らない。でも、知らなくていいんだと最近、思えてきたのです。もがいてもがいて生きていくうちに光が見えてくるのかな。もしかしたら、その光が見えてきたのかもしれません。

みなさんにも、必ずいつか見えてくるはずです。「価値があるから生きる。」のではなく「生きぬくことに価値がある。」いい言葉です。

僕は生きぬきます。他力の風に吹かれて・・・・。100歳をこえそうな気がするのですが・・・。

                            渡 部