五木寛之氏著「他力」を読みました。冒頭の言葉をまず紹介します。
「他力」と書いて、「タリキ」と読みます。よく、「他力本願」などと容易に使われますが、じつはこの「他力」は、出口なき闇の時代にギラリと光る、日本史上もっとも深い思想であり、すさまじいパワーを秘めた「生きる力」です。
もはや現在は個人の「自力」で脱出できるときではありません。法然、親鸞、蓮如などの思想の核心をなす「他力」こそ、これまでの宗教の常識を超え、私たちの乾いた心を劇的に活性化する「魂のエネルギー」です。この真の「他力」に触れたとき、人は自己と外界が一変して見えることに衝撃をうけることでしょう。
とありますが、この言葉だけではピンとこないかもしれませんね。
ヨットの例で紹介しましょう。
エンジンのついてないヨットは無風状態では走ることができない。前に進もうと思っても風が吹かなければお手上げなのです。急に風が吹き抜けることがある。これが他力なのだと。自分でも理解できない不思議な力(風)がどこからともなく沸いてくる(吹き抜ける)ことで、大きな壁を乗り越えられる。それは全ての人に存在する力であり、その存在を認めることで救われるという教えなのです。その存在に気がついた時に、初めて「自力」にこだわることが滑稽に思えてくるはずであり、霧の中をさまよっている状況から晴れやかな世界が広がるでしょうと五木氏は説明しています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?僕は他力を呼び起こすには、前段で自力が必要だと思うのです。ヨットの例で言えば、無風状態が続いても、注意深く風の気配を待ち、空模様を眺めて、風を待つ努力という自力が・・・。
驚くことに五木氏から言わせればこの努力も他力による働きだと答えているのです。ここまでくると自分の思想を大きく超えた考えになり、今の僕では理解ができません。ただ、この教えに不思議な魅力を感じるのも事実です。五木氏のように自然とその他力の存在を感じられるようになったらと・・・。
いや、そういえば不思議と勇気が湧いてきて、たいへんな行動力を発揮できた時がありました。
その時とは「この人のために何かがしたい。」と思った時にです。この時に不思議と勇気が湧いて何でもできる気がするのです。大きな風が自分の背中を押してくれたような感じだったなあと思い出されたのです。これこそ他力なのでしょうか?今後の大きな宿題ですね。
・深く悲しむほど強く喜ぶことができる
人間は大いに笑い、大いに涙を流せばいいのです。深く悲しむ人ほど強く喜ぶことができる。たくさん涙を流す人ほど大いに笑うことができるのです。と五木氏は教えてくれました。「不安の力」の中でも同じようなことを言っておられます。不安が大きいほど、喜びが大きいのだと。だから不安を恐れる必要はなく、不安を自然と受け入れて、自分の力としなさいと。
言葉の力は大きいですよね。それから僕の不安に対する意識が、何となくですが拒絶から受容にかわっていったのです。
・共生について
今、僕は「共生」を最大のテーマとして考えています。「共に生きる社会」の実現をです。このテーマは民主党代表の小沢氏、そして今回のブログの主役でもある五木氏が訴えている理念であり、その二人から大きな影響を受けました。(小沢氏に関しては次回のブログで紹介したいと思います。)
身近な人間関係でもそうですが、世界的な規模でも民族紛争、宗教対立等、世界各地で大きな対立が激化しています。そこで、思想、信仰、民族が違う国々や人々が、その対立を乗り越えてどう乗り越えていくかというのが「共生」「共存」という考え方なのです。
ではどうすればそのような社会がつくれるのでしょうか?
「拒絶から寛容へ」「対立から共存へ」この二つが重要なキーワードなのだと五木氏は言っています。具体的にどうすればそのような考えになるのかは、やはり他力を信じその存在を認めることが必要な気がします。しかし、僕にはまだまだ人に対して拒絶心が多く残っています。五木氏のように他力を極められることができるのでしょうか?いや極めるなどと思うこと事態が間違っているのかもしれませんね。しかし、なぜか不思議と自分ならできそうな気がするのです。時間はかかりそうなのですが・・・。これも他力の導きによるものなのでしょうか?
渡部