仕事モード、オン。男スイッチ、はいります

ずっとまえのブログに『働きマン』のことをかいたことがあります。

それは原作のほうの『働きマン』でした。

こんどはドラマの『働きマン』について。

仕事で泊まりがあったときに、とりためていたDVDで

働きマン』の1話と2話をみました。

ほとんどテレビをみないわたしがいうのもなんだけど、

じょうずに原作をよみこなしてドラマ化されており、

菅野美穂えんじる松方弘子のはたらきぶりに

共感しながらみることができます。

1話では、新人編集者が

『オレは「仕事しかない人生だった」

そんなふうに思って死ぬのはごめんですね』

といったのにたいし、

「あたしは仕事したなーって思って死にたい」

という有名なセリフもでてきます。

ひとつの仕事をやりとげた松方弘子のすがすがしい

達成感がつたわってきてうらやましくなります。


たしか彼女は編集長になるのを夢みて仕事にとりくんでいたはず。

俺の夢はなんだったけ、と、つい自問してしまいました。

はやめに隠居して老後をテキトーにちゃらちゃら生きる、

というのはわたしの希望ではあるけれど、

とても「夢」といえるほどの立派なものではありません。

夢ももたないで生きるしょぼくれた中年って、

はてしなくかなしい存在みたいな気がしてきました。


いっぽうで、夢なんかをもち、

目標にむけてがんばるから世の中がおかしくなるんだ、という

老子的なかんがえ方にも以前から魅力をかんじています。

なにかにむけてがんばるエネルギーをすべて肯定できるほど

いまの地球には余裕がない、という時代的背景があとおしをします。

ほんとうに、地球の環境は、いよいよきびしくなっていることが、

ここ数年であきらかになってきました。

たとえば。

一生懸命はたらくことでたくさんの

自動車を生産し販売することは、

ひとりの人間の人生としてはかがやくかもしれないけど、

その結果としてどれだけ地球環境が破壊されることでしょう。

中国やインドのひとに日本の自動車をたくさんうることは、

ほんとうにほめられることなのでしょうか。


それよりも、なにもしないでとぼけて生きていくほうが、

ながい目でみれば地球のため、

ひいては人類のため、というかんがえ方が

たしかになりたちます。

働きマン」か、老子的な生き方か。

ひとつだけをおいもとめるのはくるしくなるので、

両者のバランスをとって、なんてお気楽なことを

いってる状況ではない気がします。

環境でも人口でも食料でも水でも酸素でも、

地球の寿命はそうながくはなさそうです。

働きマン」をみておもうことは、

働きマン」的なはたらき方にあこがれ、

うらやましくおもいつつも、

時代はすでにそれをゆるさないのでは、

という、あまりあかるくない雑感でした。


とはいえ、そんな理屈をこねなくても、

すくなくともこだまでがんばってはたらくぐらいでは、

なにも生みだすおそれはなさそうです。

介護関係の仕事は、「働きマン」に変身してはたらきまくることがゆるされるめぐまれた環境といえるかもしれません。

まだわかいこだまの同僚のみなさんは、安心してエネルギーを仕事にむけてくださいね。

(吉田 淳)