燃えよドラゴン

「このあいだの旅行のことだけど」、と春にいった家族旅行について9歳のむすこにいったら、「それ、いつの旅行のこと?」ときかれました。わたしにとっては今年3月の旅行はついこのまえのことだけど、彼にしたらそれはもうおおむかしのことだったのです。40代のわたしと9歳のむすことでは、おなじ5ヶ月でも主観的なながさはずいぶんちがうことがわかりました。


お腹がいたくなって学校をやすんでいる彼といっしょにブルース=リーの『燃えよドラゴン』をみました。なんだかんだと肉体的な勝負をいどんでくるむすこに、ブルース=リーの世界をいちどみせておきたかったのです。かりてきたビデオテープは吹き替えなしの字幕スーパーのものでした。でも、「アチョー!」「ハッ!」がほとんどのこの作品はむすこでもじゅうぶん理解できたようです。父ちゃんが中学1年生のときにブルース=リーの映画がはやった、というはなしをしました。それがむすこにはピンときません。彼にとってはあと3年もさきのことであり、3年というと、それはずーっとずーっと、想像できないぐらい先のことなのです、きっと。


30年以上まえのこの作品は、いまみるとさすがについていけないとこもおおいけど、ブルース=リーのすごさはよくわかりました。あのひとは、ほんとうに武術がすきですきでしょうがなかったのでしょう。たたかうシーンでは、演技というよりただもう少林寺拳法をあやつることがたのしくてしかたがない、というのがつたわってきます。だんだんと闘志がエスカレートして、自分でも自分のうごきを制御できなくなるようなほんものだけがもつ迫力。映画のラストでは敵のリーダーとたたかうけれど、このリーダーは素人目にもたいした技術はもっておらず、もりあがりのないおわりをむかえます。映画作品としてではなく、武術家としてのブルース=リーの魅力(すごさ)にひたりたいとおもいました。

               (吉田 淳)