ゆとり

ゆとり・・・・・。

そう聞くと最近ではあまり良い言葉のように聞こえてこないのは

ゆとり教育の『ゆ・と・り』がすぐにイメージされるからなのかもしれません

そしてそう言われる『ゆとり教育』でさえ

本当に本当に皆が心からゆとりを感じる事が出来ていたのならマイナスのイメ

ージには、ならなかったのではないだろうかと思うのは私だけでしょう

か。。。

本来ゆとりがあるという事は、素晴らしい事だと個人的に思います。

ずいぶん前のテレビ番組でユトリの事を話されていた宮大工の方がいらっしゃ

いました。

宮大工の匠の方は、神社仏閣にはあえてピッタリとガチガチに組まれた場所で

なく(例えば地震が起きた時に)揺れを受け止めて逃がしてくれる微妙な隙

間があると話されていて、それを『ゆとり』というのですと言われた事を覚え

ています。

もちろん全ての神社ではないのでしょうが・・・。

ゆとりがあるという事は、何か大変な状況が起きた時に

『大丈夫 大丈夫』そう言える心のキャパの幅と大きさに思えました。

きっと神社のユトリもかなり計算しつくされた隙間なのだなとも感じました。

様々な場で『ゆとり』をつくりだす為には、、、、。

ガチガチになる必要は、無いとは思いますが、設計図と言われる段取り図を 

物事を始める前にそれに携わる全ての人に共有し、思いや動きを伝え取りかか

る事が『ゆとりの神殿』を造り上げてゆけるチームになっていけるのではない

かと思います。 

簡単そうで難しい事ですが何でも『段取り8割』そして基礎固めが一番大切な

事ではないかと感じる今日この頃。

ゆとりを生み出す為には、根底に『思いやりと想像力』が在るのだと思いま

す。

なんの為に・・・その動きや関わりをするのか

ひとつひとつの事を振り返りながら、省みつつ、きちんと考えながら

日々の営みを大切にしたいと感じました。

生活1で種を蒔いた、ナスタチウム、ふうせんかずら、ひまわり、朝顔などが

芽を出してくれた事が嬉しい近藤でした。