ながい冬

大草原の小さな家」シリーズの6冊目に

『長い冬』というはなしがある。

ある年の10月に、

零下20度というきびしいさむさが嵐とともにおとずれ、

そのままながい冬が5月までつづく。

定期的にはげしい嵐がふきあれ、

生活物資の補給線である

列車はすぐにうごかなくなった。

備蓄してある食料や燃料がなくなり、

ローラたちは家畜のえさとしてたくわえていた干し草を

かたくねじり、マキのかわりにして暖をとる。

そうしたところで部屋の温度はいつも氷点下のままだ。

先のみえない生活は希望をもちにくく、

きびしく単調な日課のはてしないくりかえしに、

ローラはしだいに放心状態となっていく。

「父さん」は

なんとかみんなの気もちをひきたてようと

あかるくふるまうが、

その父さんでさえ心身ともに

ギリギリの状態においこまれている。

過酷な労働に酷使された父さんの指は

得意のバイオリンをひくこともできなくなった。

胸がしめつけられるようなつらい冬を

インガルス一家とともに体験している気がする

すぐれた一冊だ。

さむい冬にはこの本のことをいつもおもいだす。


これにくらべるといまの寒波なんて天国みたいなものだ。

値あがりしてるとはいえ

スーパーにいけば豊富な物品があり、

ながい列をつくらなくても灯油は手にはいる。

たいへんな状況においこまれた方々の気もちを

さかなでするようなことをいうつもりはないが、

客観的にみれば

ローラたちのすむデ・スメットのひとたちが体験した

「長い冬」のきびしさとはくらべようもない。

文明の発達を批判的にみることがおおいくせに

こらえ性がないわたしは、

ひもじいおもいをすることがなく、

そしてあたたかくすごせることがとてもありがたい。


晦日から元旦にかけての大雪で、

鳥取県国道9号線で約1000台の大渋滞が報道された。

このとき琴浦町のひとたちが

自宅のトイレを提供したり、

おにぎりのたきだしなどをされことをあとからしる。

自分のことよりひとのことをおもうことのできる

高貴な精神をすばらしくおもう。

わたしも雪道を運転したときに、

車にのっているひとどうしがたすけあって

車線をゆずりあったり

うごかなくなった車を協力してたすけだす場面になんどもであった。

そうした現場をしきるひとがちゃんとでてきて、

役をわりふったり指示をだしたりする。

ひとの失敗をあげつらうひとはおらず、

すこしでも協力しようという姿勢がすごくすてきだ。

いつもとちがう状況が、

ふだんはみえないよい面をひきだしてくれる。

(吉田 淳)