人生は登山のようなもの?

「1分1秒をめいいっぱい生きたい。」

いつもそんな気持ちで生きていけたらいいな。」

と以前から考えていた僕です。

大きな切欠は、やっぱり五木寛之氏の作品。

ありがとうノートの出会いからでした。

しかし、人間というものは、理想は理想として

いくらでもハードルを高くは上げられるのですが

現実は思っていた以上に厳しいもの。

すぐに「怠けたい。」病が奥底から湧き出てきてしまい

自分の欲求に対して、アプローチをしかけてきます。

「めんどくさいじゃないか。今を楽しもうよ。怠けてしまえ。ホラ。」

と何度も何度もつぶやきます。

最初は「いやいや駄目だ。駄目だ。」と心の葛藤があるのですが

しだいに「まあ、いいか。明日があるさ。」と思ってしまい

ついつい怠けたい病に融合してしまいます。


僕は基本的に怠け者。自分でも自覚しています。

多分、そんじょそこらの怠け者には負けません。本心からそう思います。

ただし、ちょっと違うところは、自分の理想が

「お前さん、それはどう考えてみても勘違い甚だしいだろう。」

と思われるほど、高いところにあるところだと思います。

山にたとえると、

(岳山→星上山→大山→富士山→ロッキー山脈→モンブラン→エベレスト)

普通なら岳山からスタートするのでしょうけど

僕はいきなりモンブランを目指します。

無理に決まっているのですが、それでも目指してしまう。

すると、元来怠け者の自分は、間違いなくモンブランの登頂を

目指してスタートするのですが、途中で挫折してしまう。

しかし、2合目しか登ってないにしても1200m近く

登頂していたことになります。

登山で言えば大山は制覇したことになります。

気づくうちに大山登山のスキルを獲得したことになります。


何が言いたいのかといえば、理想や目標は高いほど良いという事。

自分の自由意志でいくらでも高くできるし、気づいた時には

自分の新たなスキルを獲得できているからです。

そう信じ、どんなに忙しくても、どんなに自信がなくても

頼まれた仕事や、地域活動に対してはチャンスだと思い

何でもチャレンジしてきました。


しかし、最近、こう思うようになりました。

岳山の次は星上山、星上山の次は大山と一段ずつ

確実に登る方が自分には合っているのではないかと。

また、そうでなければ本当の意味でのスキルは獲得できないのではないかと

そう感じます。


暗中模索状態の渡部ですが、しばらく悩み続けたいと思います。

                                     渡 部