本当の自分と向き合い、抱きしめよう

つい最近の事です。

中学校の同級生と偶然、市内のとある場所で出逢ったのです。彼とはいろいろな事がありました。

その再開がきっかけとなって昔の自分を振り返る気持ちになりました。複雑ではありましたが・・


以前にもブログで紹介した事があり、ご記憶の方もおられると思いますが

実は僕の児童期はネガティブ世界の住人であり、全くいい想い出がありません。

でも今は違います。正反対の超ポジティブ世界の住人となり、毎日を楽しく過ごしています。

どこで自分の針が正反対の世界へと振れるキッカケとなったのか?

ちょっと怖いような気がしたのですが、じっくりと目をつぶって考えてみました。

すると、ある過去の映像が頭に蘇ってきました。


実は僕は小学校1年生までは、毎日、女の子のスカートをめくるようなやんちゃで超ポジティブな子どもだったのです。

しかし、引っ越しの為、2年生の時に隣町へ転校を余儀なくされました。

大好きな担任と同級生との別れは子どもながらにたいへん辛く悲しいものだったと記憶します。

普通、ポジティブ思考の人ならば、こういう場面の時は新しい学校での出逢いに期待で前向きな気持ちなると推測されますが、不思議と僕の場合は、大きな不安と、同時にその本音を両親には悟られてはいけないというプレッシャーに押しつぶされそうな沈んだ精神状態でした。

その転校がきっかけとなり、本当の自分(個性)をカサフタで隠し、誰にも嫌われない自分の中の好少年を演じる偽たけしと変身していきました。


そのような嘘の自分など、魅力があるわけがありません。

本当の友達は出来ず、いつも一人ぼっちでした。いつの間にか本当の笑顔が消え

他人の顔色ばかりを伺うような自信のない自分がそこにはいました。


小学校5年生の時にはとうとう不眠症になってしまいました。その期間、丸一ヶ月間。

両親が代わる代わる添い寝をしては、僕が安心して眠れる方法を暗中模索してくれました。

その両親の想いは、本当にうれしく今でも深く深く感謝をしています。

しかし、そのような両親の努力をもってしてもなかなか不眠症は治りませんでした。

当時、僕は祈るような気持ちで「眠るんだ。眠るんだ。ぜったい眠くなる。だいじょうぶ。眠れる。」と呪文のように毎晩、唱えていました。でも実は本当の心の叫びが聞こえていたのにも関わらず、それを押さえ込もうと必死にもがき苦しんでいました。


転機は突然、訪れました。どうしてそのような事を思いついたのかは想い出せないのですが

幽体離脱のような感覚で外から自分と向き合うイメージで自分に話しかけてみたのです。

(本当は眠れない事が怖くて怖くて仕方ないんだよな。怖いものは怖いんだよな。いいんだよ。たけし。怖いんだから電気をつけて朝まで好きな事をしていよう。起き続けよう。)

不眠症後、初めて本当の自分の気持ちと向き合う事ができました。

その瞬間、何か見えない刺がポロっと取れたような楽な気持ちになりました。


不眠症の期間は言葉では表せないほどの恐怖と不安が襲い二度と同じ想いはしたくはありません。しかし、どんな時にでも本当の自分の心と向き合う事の大切さを学ぶ貴重な体験となった事を考えれば不眠症という経験は大きな大きな財産となっています。

欲張りで、面倒くさがりやで、自己中心で心配症の自分を受け入れて認めた結果、その自分の弱さのまま、苦手な壁を乗り越えようとするチャレンジ精神を手に入れる事もできました。


辛く苦しい体験、二度と想い出したくない体験等、誰にでもあることだと思います。

しかし、無駄になる経験は一つもありません。当時は自分を守る為に、反射的に防衛機能が働いた結果、心の傷にふたをしたり、理想の自分を演じたりするのではないでしょうか?

でも、きっとそのような自分ではない自分というパーツを捨てる日は必ず訪れると思います。

弱くても、怠け者でも、自己中心でも、脂性でも、色黒でも、そんな自分を丸ごと受け止めていきます。一つ一つの自分に名前をつけては愛情をもって接していきます。

それが渡部健史だからです。そんな自分が僕は大好きです。


次も携帯旧式の田崎さんにバトンタッチです。   

  【ポジティブ世界とネガティブ世界を行ったり来たり】の渡部でした。