ホーラーエンヤ

 24年前のこの時、私は病院に入院中でした。

長男小学校4年生、長女1年生、次男11ヵ月でした。

仁宮家の緊急事態に今は亡き母が手伝いに来てくれていました。

 次男は母親がいない不安から敏夫さんにだっこされ、下におりようとせす、おさるさんのような生活でした。

それから潜在的に、大きくなっても「お母さんどこへ行く?いつかえる?」と不安そうにきいていました。

今も私の身体のことを一番心配してくれています。

「三つ子の魂百まで」とはよくいったものだとおもいます。

 母、敏夫さんにだっこされた次男、長男、長女がホーラーエンヤをみにいくのを病院から見送ったことをおもいだします  

私は病室の窓から見ていたようにおもいます。


 この時は「長男がせめて中学校になるまでは生きていなければ」

それがかなうと「せめて二十歳になるまではいきたい」と

 ついに24年がたち、3回目のホーラーエンヤを先日みることができました。

 豪華にかざられた船、勇壮なおどり、おはやし、唄。

人、人でよくみることができませんでしたが、またこの場にいることができたことに大きな喜びをかんじました。

 「にくまれっこ世に・・・」ですか?

この次12年後は? どうしてるでしょうか。


 ※わらび

 八雲村熊野 仁宮家 裏山