僕のバターケーキ

いよいよ、こだまのクリスマスイルミネーションツアーが明日にせまりました。しかし、天気予報があいにくの雨。今回だけは、おもっいっきり、予報がはずれてほしいものです。

というわけで、今回は自分の過去のクリスマスについて振り返ろうと思います。

さて、僕のクリスマスの一番の想い出といえば・・・。う~ん、いろいろあるので、どのクリスマスをNO1にしようか迷ってしまいます。でも想い出そうとする作業が楽しいです。ついつい「ウフフフフ」と笑みが・・・。きっと今の僕は、かなり気色悪い表情をしているのでしょうね。(そういえば、過去に「気色悪い。」と、とある女性から知人を介して言われたことがあるんですよね。悲しい想い出のはずなのに、なぜか、ここでも笑みが・・・。僕ってM?)

話がそれましたが、決まりました!僕のNo1クリスマス。

それは、やはり子ども時代のクリスマスです。

僕は3人兄弟で、年齢が3歳づつ離れていました。

兄(高1)、僕(中1)、弟(小3)といった感じです。もちろん、ほしいプレゼントはみんな違うものでしたが、僕達の母親には、子どもの常識は通用しません。「2,000円あげるから、これで好きなプレゼントを共同で買ってきなさい。」と僕らの要求はあっさりと却下です。さすがに高校生の長男が、「俺はいいけん。お前ら2人で好きなプレゼントを買って来い。」と清く身を引いてくれるのでした。これぞ兄弟愛。(兄ちゃん、今だから言えるけど、当時はあまり感謝の気持ちはなかった。ごめん。遅らせながら心から感謝の言葉をおくります。「ありがとうございました。」)


しかし、僕達はゲーム・ウォチがほしかったのです。当時の値段で6,000円。この2,000円は貯金にまわし、6,000円貯まるのを待つ方法もあったのですが・・・。そこは欲望の権化である花の12歳と9歳。もちろん、ゲーム・ウォチはあきらめて、おもちゃ屋に走るのでした。そこで買ったのがサッカー盤ゲーム。昭和40年代のベビーブーマー世代ならお馴染みの【対戦者が向かい合って鉄棒を回してPLAYERを動かす】、例のサッカーゲームです。当時は消費税もなく、きっかり2,000円。包装紙は値段に関係なく、みな同じクリスマス図柄だったので、友達に自慢げにプレゼントを見せびらかせながら、弟と二人でスキップしながら帰りました。「お母ちゃん、こんなデカイやつ買えたよ。ありがとう。」と例を言うと、母も笑顔で「よかったね。さあ、今日はごちそうだよ。しっかり食べなさい。ケーキもあるからね。」とやさしく出迎えてくれたのでした。


実は、僕の母は3歳の時に祖父を亡くし、経済的にかなり苦労したそうです。高校も4人兄弟の末っ子のため、姉さんや兄さんの援助があったので、なんとか進学できたそうです。兄弟愛は人一倍強かったらしく、それが何よりの財産だと教えてくれました。

というわけで、お金には厳しい人なのです。当時は、そんな話を聞かされても「知るか、そんなもん。今は親父は元気に働いているじゃないか~。このケチンボ!」と思っていたのですが、年をとればとるほど、あの時の母親の教えをありがたく受けとめれます。「お母ちゃん、ありがとね。」


さあ、メインの晩御飯。おかずは・鳥の唐揚げ とポテトサラダ。そしてご飯に味噌汁。たしか、これだけだったような気がします。でも量はすごかった。食べきれないほど作ってくれました。

そうそう、シャンパンも飲みました。シャンメリーという、子どもだましのあのシャンパンもどきジュース。

あれ、けっこううまいんですよね。酒を飲む振りをして、「かんぱ~い。」と兄弟でがんがん飲みました。

そして、メインのケーキ。今の子ども達は、まず見たことも食べたこともないでしょう。そう、あの伝説のバターケーキ。バターが2重3重とパン生地に塗りたくってあり、2,3口食べただけで、胃がもたれます。パン生地はパサパサで、こってりバターと絶妙のハーモニーをかもしだしていました。でも、最高においしかった。当時は「おいしい~。おいしい~。」と兄貴と弟の3人で競い合うように食べていました。今まで食べたどのケーキよりもあの時のバターケーキが記憶の中に強く残っています。


との理由で、僕が中一の時のクリスマスが栄光のNO.1を受賞しました。

みなさんのNO.1はどのクリスマスですか?

                                                      渡部