ポニョはそーすけがすきなの!

ポニョのはなしをしていて気になるのは、

たいていのひとが

「CGをつかってない絵はさすがにきれい」とか

(そういっているひとは、CGをつかった場面と、

そうでないところをみわけられるのだろうか)

「宮崎さんのお母さん像があらわれている」

とかいうことだ。

「環境問題についての作品でしたね」というひともいた。

もちろん映画だから、

それぞれどうとらえてもいいわけだけど、

いかにも情報に左右されやすい大人のいいそうなことで

きいていてあまりたのしくない。


宮崎さんはそんなことに感心してほしくて

あの映画をつくったわけではない(とおもう)。

それぞれのシーンのもつ意味について、

ちゃんと説明できるだけの論理武装はされているだろうが、

そんないわずもがななことをあのひとは絶対にしない。


ポニョはそーすけがだいすきなのであり、

そーすけもポニョがだいすきで、

ただそれだけがどれだけすばらしいことかを

子どもたちにかたりたかったのだ。


わたしは、『未来少年コナン』をみたときのショックをおもいだす。

コナンはラナをどこまでも大切にし、

ラナのために生きようとおもった。

そんなコナンのおもいをしったときに、

自分がどれほどうすよごれているかに気づき

ぼう然としたものだ。


そーすけは5歳の男の子でしかないけど、

ポニョのすべてをうけいれた。

そのつよさが世界をすくったのだ。

ポニョは反CGの作品でもなければ

環境問題をうったえた作品でもない。

ポニョはそーすけがだいすきで、

そーすけもポニョがだいすきなのだ、

ただそれだけなのだ、ほんとうに(たぶん)。

(吉田 淳)