平凡な日常生活はとてもありがたい

朝こだまにつくと、いつものようにマックミニを起動させる。

なにげなしにこうしてマックをつかっているけど、

じっさいはなかなかえがたい環境なのだろう。

ウィンドウズ対マック、なんて、

いまさらかくつもりはないけど、

ずっとマックになれしたしんできたわたしにとって、

仕事のかなりのわりあいをしめるパソコンに、

マックをつかえるのはとてもありがたい。

介護事業所にマックがある必然性はない。

こだまにあるのはただわたしがなれているから、であり

それをみとめてもらっているのは、

そうあたりまえではないのかもしれない。

理事長の度量のひろさと、こだまの自由な社風に感謝したい

(「会社」なんておもったことはあまりないけど)。


「わたしがマックを使う10の理由」

というサイトがあったのでのぞいてみる。

OSの設計など、こまかいことについて言及し、

マックのよさを紹介してあった。

くわしいひとがいるもんだ、

と感心していたら、

それにたいするウィンドウズユーザーからのコメントがすごくて、

「事実に反する」「おもいすごし」等ずいぶん反論されていた。

こういったことがらは、

なかなか客観的にはかけないことかもしれない。

「わたしがマックを使わない10の理由」というのもあったけど、

たいした内容ではなかったのですぐにとじた。


ということではなくて、

あたりまえの日常がいかにありがたいか、

ということを今回はかきたかった。

病気やケガ、災害などで、

普段あたりまえにやっていたことができなくなると、

これまでの日常生活がいかにありがたいものだったかがわかった、

というはなしをよくきく。

あたりまえに、気づかずにやっていることは、

ほんとうは、ものすごくありがたいことばかりだ。

パソコンがうごかなくなったり、

データーがきえたりというアクシデントがあるとすぐにうろたえる。

そうならないとありがたさがわからないのが

わたしのような凡人のこまったところだ。

平凡な日常生活のありがたさを常に感謝したい。

(吉田 淳)