なぜ島根に??

今週末は自然に癒やされてきました、太田和です。


ちょうど4年前の今日、2017年9月26日私は島根県に東京から移住して来ました。

何故・・・?
この4年間何度も聞かれてきた質問です。
まだ自信を持って答えられない、私の人生をかけた問いでもあります。


「なんのために、だれのためにあなたは、今ここにいますか…?」



マレーシアのボルネオ島のジャングルに孤児院を設立するプロジェクトの任期を終え、高層ビルのジャングル“東京”に戻りました。

中野区にある生活介護の通所施設を紹介され、次のミャンマーでのプロジェクトまでの繋ぎの仕事の気持ちで働き始めました。

ですが、なかなか入国ビザがおりない。
当時ミャンマーは、約50年間続いた軍政に終わりを告げ、民政移管を果たして間もない時期でした。

なんやかんやであっという間に3年過ぎていました。
そこの施設は、いろんな所で断られて続けて来た様々な重度の障がいを持つ方々が集まってくる生活介護の施設でした。

上司や先輩に恵まれ、この仕事のやりがいと面白さを感じ始めた頃、自分が担当していた50代の肢体不自由の利用者さんの唯一の保護者であるお父様がお亡くなりになられました。
彼は、施設入所になることが決まり、自宅から遠く離れた施設に引っ越して行かれました。そこは、都心から2時間半、電車とバスを乗り継ぎようやく辿り着ける山奥の高齢者施設の1画を間借りして作られたような環境でした。

数ヶ月した頃、その利用者から施設に電話がきました。
言葉を上手に話せない彼でしたが、どうしても私と話がしたいと、電話越しに何かを伝えようと一生懸命でした。

「帰りたい、みんながいる所に帰りたい」と絞り出すような声で泣きながら繰り返していました。


電話を切ったあと、私は無力感に押しつぶされそうでした。

長い間住み慣れた町を離れ、気心の知れた仲間と別れ、誰も知り合いのいない、自分のことを誰も知らない場所で生きていかなくてはいけない喪失感と底しれぬ不安…

私は、身体のずっと奥の方で何かが音を立てているような感覚を覚えました。

そんなことがあってしばらくして、障害に特化して事業展開している居宅介護支援事業所に転職しました。

スカイツリーの建設が始まったばかりの東京の下町墨田区にその事業所はありました。

長くなりそうなので、また次回に。