なぜ島根に?? part2

居宅支援ってどんなものか、少しでも自分にできることは何なのかを知りたくて、9年前の2012年に居宅介護支援事業所に転職しました。

スカイツリーの建設が始まった頃の東京の下町、墨田区にその訪問介護の事業所はありました。

知人に紹介してもらって、ネットで検索してびっくり、その時住んでいたマンションから徒歩50歩!の場所にありました。しかも僕の伯母がその会社の創業を手伝ったとのこと。

不思議というか運命的というか、何か大きな力の導きを感じながら、面接を受けたその日の夕方からそこの会社で働くことになりました。

2歳〜92歳の障害児・者、高齢者の方々への居宅介護、移動支援、生活援助、行動援護、重度訪問介護等なんでも行う事業所でしたので、大変ではありましたが、本当にやりがいのある仕事をさせていただきました。喀痰吸引など医療的ケアの要する利用者さんもたくさんいたので、朝の6時から深夜まで時間を問わず支援に入らせてもらいました。

なかでも特別支援学校の小学部や中高等学部の利用者の子たちと過ごした時間は、本当に楽しく、かけがえのないものになりました。

そんな楽しく充実した毎日を過ごしていた頃、支援に入ってた男の子のお母様が倒れられました。
女で一つで育てて来られたそのご家庭では、これまでのように一緒に生活していくことはできなくなり、施設入所の方向に。

同僚の相談支援専門員と一緒に、その子の住む近いところでどこかないか、色々あたりましたが、都内ではほとんど見つからず、見つかっても経済的に生活していくことが現実的ではないところばかりでした。
結局、都内から電車とバスを乗り継ぎ3時間はかかる郊外の施設に入所することに決まりました。


…その時また自分の心の奥底で、カタカタと音をたてるある想いが湧き起こるのを感じました。

その想いがなんなのかは、このブログではあえて書きません。

あと四半世紀かけて、この松江の地で実現していこうと思います。こだまで出会った、素晴らしき先輩と仲間と共に。


なぜ島根に??
答えは25年後に。


次回は、僕の大好きな野津さんです。