君が僕を知ってる

清志郎が亡くなったことについて

なにもかかないでおこうとおもった。

すごく個人的なことだから。

新聞にもっともらしい記事がのると、

わかったようなことをかくな、と腹がたった。

あんたはほんとに清志朗の曲をうけとめていたのか。

でも、ゆんたパンダさんが、

ブログで率直にかなしみをあらわしておられるのをよみ、

ひねくれてないで素直になろうという気になった。


清志郎の曲について、

よく反社会性だの反骨だのいわれるけど、

わたしは、清志郎はただうたいたいことを

すきなようにうたっただけだったとおもう。

「スローバラード」のふるえるようなせつなさ。

「指輪をはめたい」のバカな高校生時代をおもいだす滑稽さ。

「雨あがりの夜空に」だって、

本質は「おまえまでそんなこというの?」という、

さえない男の歌だ。

バカなのはわかってるけど、

でもそれしか俺はやりようがないんだ、

という肯定感がつたわってくる。

大衆に迎合したわけではない。

マジョリティをめざしてはいない。

うたいたいことを曲にしたら、

その素直さと自由さに気づいた

おおくのわかものがとびついた。


喪失感というしかない。

これからもまだしばらくわたしは生きていくけど、

これからもまた清志郎の曲にお世話になるだろう。

これまでずっと清志郎の曲をきいてきたように、

これからもずっと清志郎の曲をきく。

深刻がらず、軽々と、

自由に生きていいんだとおしえてくれた清志郎

わたしはわすれない。

(吉田 淳)