うばいあえば
こんにちわ。奈良井、永井とややこしいナガイです。
大きな地震がまたあったようで、本当に被害が大きくないか心配です。
近頃は本当に暗いニュースが多いです。他国での争いについて色々と書くのはどうかなと思いましたが奈良井さんに続き書かせていただきます。
私には小さいころから響く言葉があります。
それは相田みつをさんの
うばいあえばたらぬ、わけ合えばあまる
です。
初めて知ったのは小学生の時だったと思いますがなんだか響くというか気になります。
おそらく、数学的にきっちりと平等に分けた時には“余りなし“というのが当たり前なのですが、“わけあえば余る“というのが自分にとって面白い点だったのだと思います。
外側から見たときに
“余ってるくらいがちょうどいい“
家族、友達、職場、社会、自分の居場所はそんな場所にいたい、そんな場所にしていきたいと思います。
余っていればいつだって誰だって輪に入れるように思います。
ウクライナからのニュースや映像を見ると子供たちを連れて国境を超えてきたお母さん、小さな子供が地下鉄でうずくまりながら早く終わって欲しいと話している様子を見ると自分の子供にそんな思いはさせたくないし、もちろん他の子供にもさせたくない、なんとかならないものかと思います。以前よりも強く感じるのはおそらく家族ができたからだと思います。
色々な悲劇に対してピタッと重なるような全く同じ経験、体験は決してできません。でも映画や本、ニュース、語る人、色々な伝え方があり、それを知ろうとしたり自分から調べたり身を投じてみると限りなくは近づくことができると思っています。
同じ気持ちになれるわけがない、時代が違うからと諦めてしまうのではなく知ろうとするような感覚、そういうことはとても大切な気がします。
最近、若松英輔さんという評論家の方の対談を見たり本を探しています。
日々新しいこと、流行など次々とやってきますが時々その場に止まって“掘ってみる“ことも大切だと言っていました。
(私はいつもレコードや古着を漁っています。掘ってほってほりまくるのが大好きです。)
また、何か社会を大きく変えようとするのではなく身近なこと、自分ができることからやってみることが1番大事だとも言っておられました。
すぐにできること、先日渡部さんがミーティングで言っておられました。
“もう一回みんなで支援、日々の業務を見直してみよう“
そんなことから始めないとなと思います。
片手袋の名の下に人類皆平等、先日のブログでも書きましたが
落ちている手袋にたくさんの動物が集まってギュウギュウになって暖をとるお話はウクライナの民話だそうです。
明日は山田さんです。