みなさんご存知のとおり、僕の弟は障がい者です。
元気に動けますが、言葉が自由に話せません。
オリジナルの言語なので、初めて聞く人には理解が難しいようです。
本人は普通に話しているつもりなのに、なかなか伝わらないことにイライラしています。
つもりつもって極限まで達したとき、血を吐いたこともあります。
まわりからみると、障がいがあることで生きにくさがあるように思います。
でも笑っています。
じゃれ合いながら、いたずらをしながら楽しそうに笑って生きてます。
他の利用者さんも同じです。
からだや脳、こころに障がいを抱えて、生きにくさはあると思います。
でも笑っています。
楽しいことや嬉しいことがあれば、みんなと一緒に笑ってます。
相模原事件の彼は、障がいの重い人が「価値のない人」と思いました。
確かに重度障がい者が一人で生きていくことは難しいかもしれません。
でも、それだけで「価値のない人」と思うのはどうでしょうか。
みんな精いっぱい生きてます。
その中で笑顔になる瞬間、みんなと笑いをともにする時があります。
みんなストレスを抱えながらも楽しく生きてます。
彼の思いは、はっきり言って大きなお世話です。
今後、彼のような大きなお世話を思う人が現れないように、僕たちは発信していかなければいけないと思います。
障がいを抱えていても、こんなに素敵に笑えることを。
楽しい笑顔とやすらぎの笑顔をみんなに知ってもらうために。
そして、価値が「ある」とか「ない」なんて論じることがない、
それが「当たり前」の社会に少しでも近づけていくために。
こんな風に思えるのは弟がいたから、あんなに楽しそうに笑いながら生きている弟がいてくれたからだと思います。
ステキな「おくりもの」をくれた弟に感謝です。
昔は、一緒に歩くと物珍しそうな視線を浴びることが嫌なときもありました。
でも今は、僕の弟として生まれてきてくれたことに感謝です。
これからもたよれる兄であり続けたいと強く思います。
まだまだ書きたいことはありますが、ここらへんで終わりたいと思います。
あまり長いと読んでもらえないらしいので(充分長いよ、というツッコミは無しの方向で)。
以上、弟に許可を得ないままでエピソードを掲載してしまう、ちょっとヒドい兄の八壁でした。
明日は近藤さんです。