強い気持ちで

近年、貧困を原因とする痛ましい事件が我が国日本で相次いで起きています。

その中でも僕の記憶に深く印象に残っているのは、昨年9月、43歳の母自らが生活苦によって13歳の娘を殺害した千葉県で起きた締殺事件です。


事件当日は、母娘が住んでいた県営団地を家賃滞納により強制退去しなければいけない日を迎えていました。

当初は、娘を学校に送り出してから、自分1人で自死する覚悟でいた母親でしたが、いつもとは違う母の異変に気がついた娘が学校を休んだことから事態は急変しました。

最愛なる娘に手をかけてしまったのです。自分の意志に反して・・・。

その時の母親の心境を考えると、辛く悲しく、心がジンジンと痛みだします。


月収7万円しか収入のなかったその母親は、最後の手段として、事件の起きる数ヶ月前に行政窓口に生活保護の相談に出向きました。しかし、心ない言葉と共にまともに話さえ聴かなかった担当職員がそこには存在しました。

もし、その人がもっと心ある対応をしていたならば、もし、他の善意ある職員が対応していたなら、仲の良かった母娘の将来を奪う事はなかったでしょう。

「運が悪かった」の一言では到底許されない失態です。


いつも、そう。いつもそうなんです。

過去においても、『貧困』にまつわる事件で多くの担当者は何度も何度も同じ過ちを起こしてしまう。

最悪の事態になってからでは、いくら後悔しても遅いのです。どんなに悔やんでも、反省したとしても、その人の命は戻ってきません。未来への希望も・・・・。

でも、本当にその時その時に関わった担当者個人に全ての原因があるのでしょうか?

いえ、それは違います。日本の社会保障における制度のしくみ自体が現状にそぐわない、それこそ貧しい制度だからこそ、多くの貧困者を救済できないと思います。あまりにも専門担当者の配置が少なすぎます。ニーズに適した予算措置が施されていません。


その母親は1人娘に不自由な想いをさせたくないとの願いにより、同世代の友だちが手にするであろう携帯電話や日常必需品を最優先で買い与えていたそうです。決して娘はわがままだったわけではなく、母親想いの快活で心優しい学校でも評判の生徒でした。

でも、母親は愛おしい娘に買い与え続けた。不安にならぬよう明るく元気な母親を演じ続けた。

誰が、この母子を責められるというのでしょうか?

少なくとも、僕にはできません。


もうだれ1人として、この母娘のような想いをさせてはいけません。

絶対にです。そう強く思えるからこそ、もっともっと1人の人間として、そして支援者として強くなりたいと願う渡部でした。

                                     渡部

                               次は田崎さんです。