プットインが大好きな利用者さんがおられる。学校生活の中でもいろんなプットインをしてこられていたそうなので、
活動の中でもやりとりを交わしながら様々なプットインをつくってきた。その中でも、この3ヶ月程気に入っておられ
るのが「おはじき入れ」(ボール状の容器に入っているおはじきを円柱形のタッパーの蓋の投入口に一枚ずつ入れ
ていく)のプットインで、来所されてから室内で過ごす中で、常時と言ってよいほど「おはじき入れ」は彼女と共にあ
るという感じである。
日々の生活の中、彼女に限らず利用者さんたちは徐々にだったり、飛躍的だったり、突然だったりといろんな変化
(発達)の姿がある。最近気になっている彼女の変化の一つとして、職員に対しおはじきを入れているタッパーを
「ボールに移してほしい」と頻繁に差し出したり(午前中、テーブルで向あって過ごす1時間程の間に10~15回
もあったり、これまで一日を通じて数回であったことが数倍に増えた)、離れたところにいてもわざわざやって来ら
れては「ボールに移してもらうため」に職員の手を引き導いたりという働きかけを行うことが急に増えたことがある。
しかし、そのタッパーはいっぱいになっていることは少なく、2~3枚のおはじきしか入ってないことも多くある。
以前は、タッパーがいっぱいになり入れていくおはじきが無くなった時に職員に知らせたり、または職員が気づくまで
待っていたりされていたのだが、一か月程前から急に「移してほしい」というタッパーを差し出す行動が増えてきた。
しかし、この働きかけの動機のように見える「ボールに移してほしい」ということはあくまで二次的なもので、この行為
の背景には他者に向かう能動的なこころの動きの表れとしての「ボールに移してほしい」が生じているように感じられ
る。彼女にとって常に共にある「おはじき入れ」は、発語を代替するツールのようになっているのかもしれない。
それは、大好きな音楽を聴いていて胸の中に湧き上がってくるものだったり、職員たちへの呼びかけだったり、内面に
生じている情動の動きが自分の中だけに留まっているのではなく、他者に向かう(共感を求める)行為として表現され
ているようにも感じられる。
彼女だけに限らず利用者さんのさまざまな姿には、細いながらも「人とつながることへの欲求」が糸口となって
見え隠れしているように思う。その糸口をできるだけ見落とさないようかかわっていけたら・・・と思う。
山本