ボクサーナベの復活?

43年間の人生のうちで僕には一つだけ後悔している出来事がある。

それは高校1年生から始めたボクシングを1年間で辞めた事であり

一つだけ願い事が叶えるとしたら迷わずに高校1年生の時代に戻り

ボクシングを続けさせてもらえるように神様に懇願するだろう。


仲の良かった中学校の友達から誘われるがままにやり始めたボクシング。

当初はそんなにやる気のなかった僕が

その魅力に取り憑かれる時間はそうそうかからなかった。


松江刑務所前に建てられた古びたプレハブがそのボクシングジムであった。

室内はリングが半分を占拠し、あとはサウンドバックと粗末なトレーニング器具の置場があるのみ。

まるで「明日のジョー」の丹下ジムを彷彿させた。

ジムの練習生は総勢10名いるかいないかの少人数で

高校生、大学生、サラリーマン、医者、教員等、多種多様であった。

「パン!パン!パン!」とミットに炸裂するグローブの音がプレハブ小屋にコダマする。

その横で他の練習生が縄跳びやサウンドバックに向かって

パンチをぶち込む光景が今でも忘れられない。

正直、全身が震えた。決して怖かったからではない。

格好良く言えば、闘争本能に火がついたとでもいうのか・・・・。、

その光景を想い出すとアドレナリンが放出され、闘争本能に火がつく。

たまらない瞬間である。


翌日から高校の授業が終わると、一目散に5km離れた事務へ自転車を走らせた。

お金がなかった僕は、破れたTシャツと薄汚い灰色のトレパンに着替えて

刑務所の周りを走って走って走りまくった。

血反吐を吐きそうなくらい辛い練習であったが、楽しくて仕方なかった。

なぜなら、日々、自分が強くなっていくのがわかるからだ。

これがボクシングの魅力。全てがシンプル。

強さへの追求をするうえで、一番シンプルな格闘技だと思う。

では、なぜ、僕がそのボクシングとの別れを決意したのか。


それは自然と沸き起こる試合前の「恐怖と不安」に対して正直に向き合わずに

「怖くない。怖くない。」とうすぶいてしまったから・・・。

だからこそ、見通しの持てない恐怖が知らぬ間に自分を覆いかぶさり

気づいた時には本当の自分の気持ちがわからなくなっていたのかもしれない。


ただ、この挫折体験を経験したことで、ある大切な人生教訓を得る事が出来た。

それは、人生の節目節目に訪れる新たなるスタートラインの存在と

その時の決断の方法についてである。

例えて言えば、進学、成人、就労、結婚、出産、子育て、

仕事上での何度かの転換期、定年等、人生の中で何度か訪れるスタートライン。

その時に、自分自身で決断しなければならない。

まずはその場に立つのか、立たないのか。

僕の経験上、立たなければ、次に訪れるであろうスタートラインには立てないか

もしくは何らしかのハンディーが未来のどこかで発生する。

それを繰り返していくとハンディーという借金が増え続けていき

確実に悪い方向へと影響を及ぼしてしまう。


不安や恐怖が襲ってきても構わない。

正直にその因子と向き合い自分の中に取り込んだ上で第一歩を踏み込んでみてほしい。

そしたら見えるはず。今の本当の自分の姿が・・・・。

そして真の解決策が見いだせるはずである。

とにかく、一番大切な事は「はじめの一歩」を踏み出す勇気。

そう僕は「ボクシング」から学ぶ事が出来た。


(もう一度、初めて見ようかな?ボクシング)


最近、その感情が日に日に強くなる渡部でした。


                       次は田崎さんです。