漫画家の夢

僕には小さい頃からの夢がありました。

それは

             『漫画家』         になることです。


僕の時代、「週間少年ジャンプ」の黄金期で

掲載作品に「ドラゴンボール」「北斗の拳」「キン肉マン」「シティーハンター

等、押しも押される人気作品が目白押しで連載されていました。

その時から妄想癖のある僕はジャンプの人気キャラに自分を投影させて

正義のヒーロータイムを楽しんでいたおめでたい少年でした。

妄想タイムだけでは飽き足らずに今度は自分で作ったキャラクターを主役とした

作品をこの世に出したいと悶々とした日々を過ごした結果、僕は決断したのです。

将来、僕も週間少年ジャンプで連載をはれるような漫画家になりたいと・・・・。

その為には年代を超えて全国民から愛される主人公を誕生させようと

夢ロードをスタートしました。当時が中学校1年生だったと記憶します。

新春特別号の表紙に写る掲載漫画家の集合写真を見ながら

「いつか僕もこの先生たちと一緒にこの表紙を飾るんだ!」

と意気込んだ事を今のことのように想い出します。


自室にこもり、何度も描いて描いて描き直した結果、できた主役が名付けて

        「おじんマン」     です。

頭は禿げ、顔は○眼鏡をかけたおじさん。

しかし、身体はムキムキの筋肉質というアンバランス体型の主人公をあみ出したのです。今思えば、思いっきりキン肉マンのパクリです。

若での至りとでもいいましょうか?どこからくるのか絶対の自信を持って

この主人公の絵をとある出版会社の編集部へ何度か送りました。

返事はというとなしのつぶてで音信不通。

まったくもって相手にもされず惨敗でした。


それから35年後・・・。

念願であった漫画家への夢の扉が開いたのです。

こだま編集部発行の大人気広報紙『こだま通信』がその舞台であります。

山田編集長からお呼びがかかり

僕自身をモデルとした4コマ漫画の連載を打診されました。

実はその時、「え~。本当にやるんですか~。」

と困ったようなそぶりを見せていたのですが

本当は内心(えへへへへへへへへへー。マンモスうれぴー)と大喜びだったのです。


4コマ漫画からのスタートとはいうものの、毎月連載です。

連載当時、僕は気合いに気合いを入れてネタづくり、キャラクター設定、作画作業に

取り組み始めました。

し、しかしです。鬼の編集長の異名を取る『山田編集長』は

なかなか首を縦に振ってはくれず、何回もシナリオの練り直しを迫られました。

迫り来る期限。山田編集長からの催促電話。

僕の額からは汗が流れ落ち、鼓動が高鳴ります。

しかし、その都度、僕は「漫画家になる事を夢見ていた少年時代」を想い出すことで

気持ちを奮い立たせて四コマ漫画を書き上げてきました。

山田編集長から原稿OKの返答をいただく瞬間は、感動のあまり僕の涙が頬を

伝わっていきました。最高に幸せな瞬間でした。


残念ながら四コマ漫画「ナベちゃんが行く!」は前回の通信をもって

連載終了となりました。

連載終了の理由は編集長からは告げられませんでしたが

世間のうわさと僕の推測によりますと

   ・・・・・・「あんまり人気がなかった」・・・・・・・

厳しいなあ~。漫画の世界は~。わはははははははは。はあぁ~~~~~~~。


夢を叶えていただいた山田編集長

少数ながらも「ナベちゃんが行く」の愛読者のみなさま

また、何となくだけどもチラ見をしていただいた読者のみなさま

1年間、四コマ漫画「ナベちゃんが行く!」応援をしていただきありがとうございました。

「ナベちゃんが行く!」は永遠に不滅です!

                               渡部でした。


次は田崎さんです。