山の教え

嵩山にのぼって私が感じたことを書きます。

私が担当した利用者さんは、とってものぼるのも、降りるのもこわかったようでした。

のぼりは、背中を少しおしてあげて、わりとスムーズに、みんなと一緒にのぼることができました。


嵩山の登山は、舗装もされていない、石もごろごろある山道です。

ヘアピンのようにジグザグとのぼっていくので、なかなか頂上はみえてきません。

問題は、下山でした。足がすくんで、おりることができません。

自力でちょっとは降りられるけれど、少し急な斜面になったりすると、石がごろごろしているし、怖がってすぐに足がとまってしまいます。

となりに付き添い、からだのバランスを補助するように、

すこしずつ下りはじめましたが、

3分の1も経っていない所で、へこんでしまわれました。


助けてあげたくて、手を差し伸べても

肩をもとうとしても、おんぶをしようとしてもいやがります。

さてどうしたものか。


「こうなったら、自分でおりてもらうしかない」

時間がかかることはしかたない。

私もはらをくくりました。


少し距離をあけて、応援するしかありません。

しばらくへこんでやすんでいたけど

ついに、その方が立ち上がりました。

そうしたら、一歩一歩。時には半歩。

地道に降りてくるではありませんか。


ぴくっと足に力が入っても止まることもあるし、

すすすと、数歩進む時もありました。

手を叩いたり、「ファイト!ファイト!」

「そうそうその調子!」と絶えず声をかけ、

自力で降りることを待ちました。


そうやっておりること3時間。

その方は、最後まで自分でおりることができました。


山登りの最中に、感じていたことを

一緒に応援した職員に告げました。

「これが自立なんだろうね」と。

「きっとこの経験が、いつの日か活きる日がくるね」と。



助けたくても助けられない

見守るしか無い

その人の力を信じるしか無い

そんな状況でした。

ごろごろ石で、足場が悪くても、

見通しがなかなかみえなくても、

自分でバランスをとって、

自分のペースを大切にして

歩むことが必要です。



山には、

私たちを包み込む、豊かさや、優しさ、そして厳しさがあります。

私も。やりとげた利用者も。隣にいた職員も。

帰ってから拍手で迎えてくれたみんなも。

そんな気持ちを感じたのではないかと思います。




今日、家に帰ってから、本棚から約10年前に購入した本を

引っ張りだして読み直しました。

大正生まれのあるおじいちゃんが、

その本の一節で山に登ることについて語っています。

そこには、山の魅力について聞かれ、こうかかれています

「やっぱり、自分の存在がわかるっていうのかな」



今回は、また私の立ち位置を教えてもらった気がしています。

山登りがなんたるか、まだちっともわかっていない私が

偉そうに語りましたが、

またみんなとのぼることを楽しみにしています。

川上