「見守りの大切さ」を読んで共感したよと橋本さんに伝えた。
適切な見守りや誘導とは何か、昼食を終え休憩時間に議論した。
それは、私が移動支援に入ったときのこと。
買い物が大好きなその利用者さんは、通りすがりのローソンの前を通ると、
ローソンを指差しながら「ザ・テレビジョン買います」といってきた。
その日の買い物の予定には入っていないものだったが、
その方が毎週楽しみに購入していることはしっていた。
だから「わかりました。ザ・テレビジョン買いましょう」と答え、
店内に入った。
私は、空いている片方のレジを案内したくらいで、
本をとる~レジに並ぶ~お金を出す~おつりと商品ををうけとる~そのほとんどをひとりでやり、後ろから見守るだけにした。
ローソンを出てしばらく歩くと、とても満足そうな表情で私のほうをみた。
しばらく会話を楽しみ、また歩き始める。
しばらく歩くと、郵便局が見える。
今日ははがきをポストにいれることがスケジュールに入っている。
数回同じコースを歩いているので、たぶんそこでハガキを出すだろうと
予測はしていた。
本人のすぐ斜め後ろをあるき、いつ気がつくかな?と見守った。
雨のため、かさをさし、少しうつむき加減で歩いているので
気がつかないかな?他のこと考えているかな?
まったくかばんやハガキに手が伸びないし、
そろそろ声をかけようかどうしようかと考え始めたとき、
道路を渡る横断歩道にさしかかった途端、ピタッと足をとめ
こちらを振り向いた。
その瞬間「(ハガキをだすことに)横断歩道のラインで気づいた!」と思い、
郵便局のほうに手をさしのべ「どうぞ」とにこやかに伝えた。
彼はハガキを出し終えると
また満足そうな表情で次の目的地へと足をむけた・・・。
以前の私ならどうだったか?歩きながら考えた。
予定にないものを買おうとすれば、
「いきません、買いません」「今日は買わないよ」とか「予定に入っていないけど、いいの?」そんなことを伝えていたかもしれない。
私だって、たまたま通りすがりのコンビニでジュースやお菓子をかうことだってあるし、気になった本を衝動買いすることだってある。
それを「支援」の一文字でさえぎっていたかもしれない。
もしお金が足りなくなって、その後の帳尻あわせが必要になったとしても
それはそれで経験になる。そのときは一緒に考えればよい。
また、ハガキの件でも
本人が気づく前に
「はがき出しますよ」「ほらほら、かばんから出して」などと
先回りしすぎて、あれやこれやいっていたのかもしれない。
確かに本人が困らないようにとか、適切な誘導をすることで、混乱したり間違った方向へいくことなく、ことがスムーズに流れていき、できたことを評価されることは大切だと思う。
でもそこに少しの「間」がないと、伝えられたほうは、
そんなつんのめった声かけにイラつき、ストレスがたまると思う。
すでにそれは指示や指導になっているのだ。
私もそうだったように、支援者はそれに気づかないことが多い。
ロールプレイで逆の立場をやってみるとよくわかる。
関係性ができあがり、そのかたが何を考えているか、何がしたいか
ということがだいたいわかっているのであれば、
その「間」はしっかりできあがる。
見守りとは、目先の危険予測への対応や、順当な流れをつくるため
だけをいうのではなく、
将来的にその方が獲得していく何かをゆっくりと見守る=展望なのかもしれない、と思う。
むしろ自分自身できづけるようなヒントを示したり、働きかけをすることのほうがより技術やセンスが必要だと思う。
川上