ペットボトルに託した想い

3月11日。午後2時46分。

この時を私たちは忘れてはいけない。


今回のブログの内容を僕は昨年の東日本大震災について

本当に書いてよいのか、何度も迷いました。

なぜなら、僕は自分の意に反して

結局は自分の欲望にそって生きてしまったからです。


本当は3月11日直後に被災地へ足を運ばなければいけなかった気持ちが

今でも悔やみとして心に残っています。

いや、その気持ちは本当の気持ちだったのか。

よくわからなくなることもあります。

でも、そうでありたい。

それを一番に考える人間でありたいという欲望があります。

理想の自分に近づきたい。

でも、本当は違う。

なんだか、自分でもよくわからなくなるのですが

とにかく、そのような感じで日々揺らいでいます。


2012年の3月11日には

そのような不安定な気持ちのまま

特別番組を深夜まで見続けていました。


妻と一緒に番組を見ながら自分の想いを語りました。

一年前に味わった被災者の死の恐怖に比べたら

僕たちの日常の悩みなど本当に小さなものです。

とわいえ、結局はその小さな小さな問題で振り回されている自分がいるのが現実です。

結局は人間というのは弱く

自分が一番である事を認めざるをおえないし

認めるべきだと僕は思っています。


この時に僕は長女を呼びつけました。

「一緒にこの番組をみてほしい。」と。

長女は無言でうなづいてくれました。

10分ぐらいの間だったと思います。

とにかく自分の想いをしゃべりつづけました。

長女は一言も発せずに僕の話を聞き続けました。

表情から彼女が僕の訴えたかったことを

共感してくれたように感じました。


最後に・・・。

その日の一番に心に響いた報道の一つを紹介します。

東日本大震災の救助にあたったある自衛隊員の手記―

海岸沿いの不明者、生存者の捜索中のこと。

岩場に5歳ぐらいと思われる男の子の遺体を発見した。

口は真一文字に結ばれていたその男の子を抱えあげると

まず私の目に飛び込んだのはドラえもん上着だった。

その瞬間、現場から数十メートル離れていた自衛隊員から

「大人の女性の遺体を発見した。応援頼む。」

との声が響き渡った。


数十メートル離れた場所からもはっきりと

その女性がドラえもん上着を着ている事が分かった。

近くにいたおばあさんが

「その子のお母さんだ。間違いないべ。」

と静かに答えた。

その時に、子どもの背中あたりからキラリと光る物が見えた。

よくよく見ると、なんてことはないただのペットボトルだった。

男の子はオンブ紐でペットボトルを背負っていたのだ。

その瞬間、私の目からは涙があふれた。


容易に想像が出来た。


そう、お母さんはまず、男の子を背負って

高台に向かって必死に逃げようとしたにちがいない。

しかし、想像以上に津波の速度は早く

覚悟を決めたお母さんは

(この子だけでも助けてほしい。)

と願うようにその子にペットボトルを括りつけたのだ。

そのペットボトルは硬く硬く結び付けられていた。と・・・・。


心が切なくなり

ついつい涙が溢れ出ました。


苦しかったね。寂しかったろうね。

でもだいじょうぶ。

もう安心していいよ。お母さんと一緒だよ。

ゆっくりと休んでね。


その想いを常に背負いながら

日々をもっともっと大切に生きようと思いました。

    

                      渡 部