いきること
先週、祖母が天国にいった。
週末は慌ただしく、時間が過ぎていった。
通夜、葬儀、納骨まで、あっという間だった。
私の3人の子どもたちも、すべての場に参列した。
気になっていたのが、息子だ。
時折、大人もどきっとさせられる質問をする息子。
通夜の時も、我々が声をかける前に
「おばあちゃんの顔をみにいく」といってすすんでみにいった。
4歳にしては行儀がよく、何度も線香をあげ、顔を見にいっていた。
葬儀の時は、さすがにつかれが見え始め、ぐずりはじめた。
「おばあちゃんがみてるよ、ちゃんとしないと」というと
「みてないわ、しんでるんだから」とぐずりながらぼやいた。
確かにそうだとは思いながら、
「いいや、もうおばあちゃんは天国にいるから、どこからでもみれるんだから」と非科学的な脅しをかけたが、ぐずりはかわらなかった。
その後の火葬、納骨もわりと表情を変えることなく、すぎていった。
葬儀がおわり、その日の晩、嫁と一緒にどう思っているかたずねた。
死なない人はいるのか
ずっと生き続ける人はいないのか
そうだったら悲しくないのに
息子はそう言ってきた。
息子からするとひいおばあちゃんにあたる。
我が家に遊びにきたら、いつもかわいがってくれた。
息子たちも祖父母が好きだった。
大切なひとが亡くなることを、彼なりに必死に受けとめていた。
人はいつか必ず死ぬことをできるだけ、わかりやすく伝えた。
息子の感受性を大切に育てていきたい。
中学校くらいになったら、私もその頃読んだ『火の鳥』を読んでもらおうと思う。
川上