三度目の正直…

みなさま、こんばんは。

本来のブログデビュー当日、見事にすっ飛ばし

二巡目もまさかのスルーで、本日やっとブログデビューとなりました

新人の桑原と申します。よろしくお願いいたしますm(_ _)m


初回ということで、こだまに入ったきっかけとなった

体験について書かせていただきます。


祖父は、私に死に水をとってもらいたいとよく言っていました。

私は祖父にとっては唯一の女の孫で、一番かわいがってもらいました。


2009年9月。祖父が倒れたとの連絡を受け、即車を走らせ迎えに行きました。

その数日前に、ちょうど私の仕事に一区切りつくことがわかったばかりでした。

後日の検査で、末期のがんだとわかりました。

これは祖父との時間をプレゼントされたのだな、と思いました。

覚悟を決めて、祖父を看取るまでは仕事はしないと決心しました。


お盆には、これまでなかなか訊くことができなかった戦争の体験を

質問し、答えにくいところを答えてもらいました。

少しでもあちらに持って行く荷物を軽くして欲しくて。。。

あまりにも辛い体験だったので、墓場まで持って行く覚悟だったそうです。

また、祖父の両親や兄についても初めて教えてもらいました。


祖父が逝く二ヶ月前は、二時間ほど二人でゆっくりと語り合いました。

祖父の私への愛情をこんなにも感じたことはなかったです。

その二日後には入院しましたが、お陰さまで毎日病院に通うことができました。

そして、命日の二日前。ちょうどこの日から何となく病院に

終日居ようと思い、支度をして病院に向かいました。


その日はふと、横になっている祖父に急にお礼を言いたくなりました。

涙ながらに言うと、祖父は何も言わず深い眼差しで私をじっと見つめ、

眠りました。その一連の姿がなんとも清々しくて、神々しくて、

写真に撮って後で本人に見てもらったくらいです。

夜一旦帰宅した際に、母に今晩から泊まり込んだ方がいいと思うと告げ、

娘と孫に見守られ、その深夜に「寝る」と何度も言って静かに逝きました。

元気な頃の祖父とはまるで別人で、伏し目具合といい、

穏やかな仏さまのような顔になっていました。


実は従兄もその数日後に逝ったので、一通りの行事が済んだのが2月中旬。

やっと自分の今後について考える余裕ができました。

家族のことは自分で看たい。それができる仕事に就きたい。


3.11のあの時間の少し前、ものすごく眠くなり、横になっていました。

目が覚めてすぐに揺れを感じ、テレビをつけました。

すると、言葉を失う映像が流れ始めました。

しばらくは対応に追われて、自分のことなど手につかない状態でした。

情報をいち早く収集し、ただただ祈るしかない日々。。。


こだまの存在を初めて知ったのは、今年の3月31日です。

ご縁がない企業の応募書類作成は、不思議なくらい捗らないので

応募前にわかってしまうのです。こだまの応募書類は、

一気に作成できました。


採用の電話をいただいた後で、思わず当時大流行した金子みすゞ

「こだまでしょうか?いいえ、だれでも」のパロディで

「こだまでしょうか?はい、こだまです」とつぶやいてしまいました(笑)

奇しくも、3.11のちょうど一ヶ月後からのこだまでの勤務スタートと

あいなりました。



今の私は、なかなか思うように動けません。

できない自分をどう持っていけばできるようになるのか、

先輩方から日々いただくアドバイスがどれほどありがたいか。

その工夫と意識をしなければ務まらない業務。

ひとつひとつ着実にできるようにしていきたいと思っています。


祖父が気づかせてくれたことを実践できていない

今日この頃を振り返るにつけ、ただただ反省あるのみです。

明日からは早起き生活に戻ろうと思います。

TO DOを全て終えてから日の出を迎えたいです。



趣味などの自己紹介については、次回書かせていただこうと思います。

質問などございましたら、コメントいただければと思います。

これから、よろしくお願いいたします。


桑原