災後

震災がおこった2週間後、ふと目にとまった新聞の記事が忘れられないでいる。3月24日付け読売新聞に掲載された、『災後政治の時代』という論文だ。それからもう1ヶ月もたつのに、ここで語られた「災後」という言葉が忘れられない。

 

自分の文章でブログを埋めないことに、心苦しいところもあるがぜひ読んでもらいたいので紹介する。



『「3.11」は、日本をそして世界を変える。あたかも「9.11」が、アメリカをそして世界を変えた以上に。大地震による大津波と、それによる原発事故という、未曽有の天災と人災の複合型災害は、この国をとことん打ちのめした。

「3.11」は、これまでの日本近代を捉える文脈に激しい変動を及ぼした。まずはこれで、長い余りにも長い「戦後」に、ようやくピリオドが打たれる。第二次世界大戦で負の刻印を押され、その後は戦争体験がないため、内外ともに日本近代を区切る節目となった「戦後」。今や、その「戦後」からの暴力的開放が生じた。共通体験が訪れない、ましてや“平和憲法”で「戦後」立国をした日本に、戦争体験の再来はありえない。

 

皆がそう思いこんできたところに、「3・11」の到来である。大震災と原発災害という強烈な共通体験に刻印された日本は、「災後」の時代を歩み始めている。「戦後」から「災後」へ。それは、日本が「戦後」ずっと追求し実現してきた“高度成長とその後”の社会――、“終わるべき”と何度となく叫びながら、そこから遂(つい)に脱出できなかった、高度成長型の政治・経済・文化の突然の終焉(しゅうえん)に他ならない。(中略)

国土流失の事態はこの国全体に、「災後」としてのレベルの異なる難題をつきつけている。財政・金融上の問題、産業・エネルギー構造上の問題、情報通信上の問題、外交・安全保障上の問題、世界環境上の問題などなど。指折り数えれば十指に余る「災後」の課題が、待ったなしで迫っているのだ。

 

言うまでもなく、そこで一番問われているのは、今や「災後」を背負った日本の統治であり政治なのだ。「戦後政治」の常識は最早(もはや)通用しない。「災後政治」の非常識の始まりなのだ。与党民主党対野党自民党という「戦後」的対立は全く意味をなさない。「災後政治」を目指して大胆な発想の転換と、既存の法的しばりからの解放を行わねばならない。そして“国土創造”という前代未聞の課題に立ちむかうことこそ、「災後政治」の最優先のテーマなのだ。』





読まれてどうかんじられたであろう。


この記事を書いたのは、政治学者で東大教授の御厨貴(みくりや たかし)さん。

気になったので、どんな人物か、書籍に面白そうなものがあるかしらべ、気になったのをAmazonで注文した。



あたかも、戦争の爪痕と同じような光景が広がることとなった今回の大震災。

復興までの道のりは、戦後同様、いやそれ以上に長く険しい。

自分の中で、何かがはじけた。何かが変わった。

多くの人が、このままではいけないと思っているし、何か新しいアクションを望んでいる。


今までと同じやりかたでは、同じ結末になる。

もう、これまでの常識はまかり通らない。

あらたな考え方、別のきっといい方法をさぐって実現しなければいけない。

もう今ではいろんな場面でそれを感じている。

そうした考えや動きについていけないように自分の中で感じた時、やりきれなさや、ふがいなさを感じてしまうこともある。でもなんとかしないと、と思う。


そういえば、ひどく切なくなる歌に

わたしが神様なら、こんな世界はつくらなかった

という歌詞がある。

悲しい現実が目の前で起きているのに、何も変わらない周囲の無反応が多い世界に嫌気がさしたことを嘆いた歌と解釈している。

災後の日本には、そんな歌を若い子がうたわない世界であってほしい。


転機はもうはじまっている。川上