披露宴会場にて
こんばんは川上です。
今月はじめに友人の結婚披露宴に出席しました。
私たち友人組は、披露宴の催しがあったので1時間以上前に会場に入り、楽器のセッティングなどをしていました。
披露宴会場には、多くの従業員さんがいました。
通りすがるどの従業員さんもとにかく若い。
そして、従業員さんたちの言葉使いがとにかくきれい。
待機する部屋への案内もとにかく丁寧。
丁寧すぎて、むずがゆくなるわけでもない位のここちよい応対。
社員教育が徹底されてるなあと感じたけど、考えてみれば「とどこおりなく、とりおこなわれる」ことは絶対条件の場です。
もしも、あれがない、これがないといって大慌てなんてあってはならないことです。絶対にミスは許されません。
行き届いている、が当たり前の世界。
その場を影で支える従業員さんたち。なんだか興味がわきました。
もちろん新郎新婦にはしっかり祝福をしたけど、それと同じくらいに目がいってしまうのは、従業員がどんな動きをしているかでした。
披露宴がはじまり、乾杯にシャンパンを飲みました。
そのシャンパンがとってもおいしくてすぐに飲み干しました。
もう少しのみたいなとその後もずっとおもっていました。
宴も中盤になり、ビールが苦くて飲みにくくなった絶妙のタイミングに、「シャンパンいかがですか」と持ってきてくれました。
たまたまだったかもしれないけど、ひとりひとりのお客さんの飲みっぷりを実はしっかりみていたのでは?と思わせるタイミングでした。
だから、ものすごくうれしくなってしまいました。
2度目のシャンパンを飲み、祝福の歓声があがる中、ふと自分の仕事のことを考えました。
私たちの仕事ぶりはどうだろう。
あまりにも準備不足でいきあたりばったり。
どこにいくの?今日は何をするの?と期待感でわくわくすることはあるにしても、あまりにも準備不足が目立つと、わくわく感ではなくなってしまう。
迎え入れる準備をもっとしなくては。
シャンパンをもってきてくれた従業員さんのように、気がくばれなければ。
お酒に弱い私は、席をしばらくたてなくなって、もうろうとしながらこんなことを考えてました。
もしも、こだまが結婚式場だったら・・・。
サービスとしては十分だろうか?
もしも、結婚式場が福祉サービスに乗り出したら・・・。
太刀打ちできないかもしれない。
1年が過ぎ、自分の至らなさを痛感しています。
もっと必死になろう。そう思いました。