ビーチバレーの水着はなぜ(あんなに)ちいさいのか

『着ればわかる!』(酒井順子文藝春秋社)



 題名どうりこの本では、制服ずきな酒井順子さんが、

セーラー服やタラカジェンヌ、陸上自衛隊にバスガイドと、

さまざまな「制服」を体験します。

 なかでもおもしろかったのは

キャバクラ嬢」と「ビーチバレー」です。

キャバクラ嬢」は××××が××××なので

××××ということにして、

ここではおもにビーチバレーについてかんがえてみます。


 ご存知のとおりビーチバレーは

ビキニの水着をつけておこなわれています

(正確には、ワンピース型もみとめられていますが

ここでは省略)。

そしてその面積は、かなりちいさい。

これにはもちろん理由があって、


 ビキニのトップスは

「袖ぐりは背中に深く、

また胸の上部と腹部は

大きくカットされたものとする」


 「ブリーフはぴったりしたもので、

裾は左右が上向きにカットされ、

サイドは7センチ以下とする」


という国際規程によって厳密にきめらられているからです。

しかし、だれが・なぜ・どのようにして

このようなルールを公のものにできたのでしょう。

サイドはほんとうに「7センチ」以下でなければならないという

必然があるのでしょうか。


 サッカーにオフサイドというルールがあるように、

ビーチバレーにはサイド7センチ以下というとりきめがある。

そして、オフサイドの存在が

サッカーという競技の本質をきめているのとおなじように、

この「サイド7センチ」こそがビーチバレーの精神である、

と断言することが可能です(ほんとか!)。

なぜなら、ビーチバレー協会は

こうした規定をつくっておきながら、

あるいはだからこそ

競技の撮影にはきびしい制限をつけたりと、

いっていることとやっていることが

まったくチグハグであり、

暗黙というよりも公然のルールで

露出度のたかい「専用の」水着でのプレーを

選手たちにもとめているからです。

みせることこそがビーチバレーである、

という究極の発想がそこにはあります。


 ただのオヤジ思想なのか、

あるいは万難をはいした合理的精神なのか、

ともかくそのおかげでわたしたちは

もっともらしい顔をしてビーチバレーを

「観賞」できるのであり、

競技スポーツにおいて唯一

ルールで露出度を保障するという

ありえない環境を手にしたのでした。

(吉田 淳)