追悼 梅棹忠夫さん 2

『知的生産の技術』


情報をあつめるだけでは生産(発信)につかうことはできない。

情報をどう整理し、どうまとめ、

それをどう発表できる文章にしていくか。

音楽や読書をたのしんでいるだけは情報への消費的なせっし方だ。

この本は情報を生産的にとりあつかうためには

なにが必要かについてかかれている。


『知的生産技術』の「技術」とはなにか。

「技術」の性質について、この本では

「技術というものは、原則として没個性的である」としている。

ある一定の手つづきをふんでいけば、

だれにでも習得できるのが「技術」ということだ。

没個性というと、人間的にうすっぺらで

魅力がないようにおもわれてきらわれやすけど、

個性的をねらうひとにかぎって

おそろしく没個性であることがおおいものだ。

「技術」はだれにたいしてもひらかれている。

これなら才能がなくてもなんとかなる。

たいせつなのはただしい方法で訓練することであり、

それをつづけることだ。

わたしは実用書としてこの本にせっし、

情報の整理のしかたや文章化するときの技術にしたしむことができた。



京大型カードという、B6のカードをつかっての

情報整理が紹介されている。

おもいついたことはなんでもこのカードにかく。

メモや名刺もこのカードにはってしまえば

B6というおなじサイズに規格化することができる。

カードには1枚にひとつのことをかく

(そうしないと、あとで検索できない)。

ファイルはA4サイズに規格化し、

それぞれに名前をつけてフォルダーにしまう。

分類する必要はない。

このかんがえ方はまさに

パソコンでのデータベースのことであり、

そのカードを操作(検索)することで

無関係にみえるさまざまな情報をむすびつけ、

整理し、まとめることができる。


カードのほかにも、

・整理と事務

・読書

・ペンからタイプライターへ

・手紙

・日記と記録

・原稿

・文章


と、現代を生きるわたしたちに必要な

基礎的な技術がとりあげられている。

まえにもかいたように、

「技術」だからだれにでも身につけられる。

これまでできていなかったのは

訓練がかけていたのであり、

最低限のささやかなエネルギーをかたむけるだけで

わたしたちの「知的生産」は

格段にたかまっていく。


この本の「はじめに」に、


「わたしは、たとえばコンピューターのプログラムのかきかたなどが、

個人としてのもっとも基礎的な技術となる日が、

意外にはやくくるのではないかとかんがえている」


とある。

1969年という、

40年もまえにかかれていることはおどろくほかない。

農業化社会が工業化社会へと発展し、

つぎには情報化社会へとすすむことを

梅棹さんは文明史的な必然とかんがえていた。

個人がひとり1台のパソコンをつかうようになる時代を、

40年まえに予想できたのは、

もちろん予言などではなくて、

梅棹さんにとっては進化の必然だったのだ。

時代はほんとうにそのようにすすんだし、

この本による情報の整理についてのかんがえ方は、

40年をへたいまもなお有効である。

(吉田 淳)