電子書籍のつぎにくるもの

『情報は集めるな!』(マガジンハウス)のことが

『WEB本の雑誌』に紹介されていた(孫引)。


「文字のコントラスト性に優れ、

頭出しに費やす時間もパソコンに比べて遥かに短い。

重量も軽いし、落としたくらいでは壊れない。

しかも充電いらずである。

ネットの次に発明されるもの、

いや、発明されてもおかしくないもの、それは?」


それはなんと本なのだ。

たしかに、ちょっとみかたをかえただけで、

本がいかにすぐれた「発明」かがわかる。

文庫本や新書はほとんどかさばらず、

いつでもどこでもページをひらけるし、

だいいちよみやすい。

だからこそグーテンベルクが印刷技術を発明して以来、

本はほとんど形をかえることなく

500年以上もとの姿をたもってきた。

iPadがいかにすぐれた発明であるといっても

本をまねること、ちかづけることがせいぜいで、

本物の本をこえる操作性にはたどりつけないだろう。

いっとき「本」がなくなるかも、

とおもったこともあったが、

いまごろになって本の優位性をかんじるようになった。

本はなくならない。

おたがいのよさをいかした

共存の時代がつづき、

出版や在庫管理等のシステムが整理され、

紙媒体の「本」でなければならない本らしい本が

これからも出版されるだろう。


さらに新聞についてもかかれている。

新聞がない世界を想像し、

その世界で新聞の発行を「企画」することを想像すると

じつは新聞というものが

ありえないぐらい便利な「発明」であるかがわかる。

500ほどのニュースが

おおきくてうすい紙に印刷されており、

きわめて一覧性にすぐれ、

しかもそれが毎日配達されてくる。

それがたった1ヶ月3000円ほどなのだ。

新聞のない世界では、

だれがかんがえても絶対に不可能なことを

(数時間での入稿・編集・印刷・配達など)

たったひと月3000円で可能にしている新聞は

ほんとうはものすごい大発明なのだ。

紙でできた書籍や新聞があるからiPadは新鮮にみえるが、

もしiPadがさきに発明されていたなら、

そしてそのつぎに本や新聞が「発明」されたなら、

世界中のひとがさぞかしその便利さにおどろくだろう。

(吉田 淳)