人のやさしさは宝物

昨日、発達障害専門機関として名高い「NPOそれいゆ」主催の初心者セミナー(10回コースの第1回目)にこだまを代表して川上さんと二人で参加してきました。講師はセンター長の腹巻智子氏であり、内容は?自閉症の特性と基本的理解 ?世界の情勢と自閉症支援技術 についてでした。

私の記憶するところに、今まででもかなりの数の研修会を受けてきましたが、その中でも今回の研修が私の中では一番評価の高い研修になったと思います。4時間足らずの時間でしたが、講師の腹巻氏は、人として、そして障害者にたずさわる同じ関係者として、尊敬できるすばらしい人だと感じることができました。聖母マリアのような女性でした。

もっともっと詳しく書きたいのですが、詳細は「こだま通信」に載せますので、そちらをお読みください。また、必ずみなさんにも今回の研修で得た情報をお知らせしますので乞ご期待ください。


先月の連休、大阪のサラリーマン時代にたいへんかわいがってもらったN先輩家族が遊びに来られました。5年ぶりの再会で、中学生だった二人の子どもたちも、立派な社会人と大学生になり感慨深いものがありました。


以前のプログにも紹介したと思うのですが、私は20年前に大阪でサラリーマンをしていたことがあり、不遇の3年間を過ごした経験があります。なぜ、不遇なのかといえば、単刀直入に仕事ができなかったからです。鉄道の線路保守の仕事で、私の担当は設計。内容は線路交換や新設線路の計画書や積算書を作るというものでした。時には監督もすることがあり、自分の親父くらいの作業員さんに指示をだし、線路や枕木を交換します。書類づくりも苦手だったのですが、特に自分の親父と同じくらいの年齢の作業員さんに指示をだすことに遠慮があり、スムーズに仕事ができなかったのです。年齢が高いというだけならまだ良かったのですが、その会社には下請け会社に出向するという制度があり、昨年まで上司や先輩として僕を指導する立場だった方が、次年度からは私に指導されるという逆転現象がおきるケースもあり、「お世話になった先輩に指導なんかできない。」という心の葛藤が邪魔をして仕事がうまいようにはかどりませんでした。

「そんなことを気にしていたらサラリーマンとして失格だ。」と思われるでしょうが、まさに失格者だったのです。精神的にもまだまだ子どもで弱虫だったかもしれません。


その弱りきった頃に、N先輩は転勤で私の担当する工事所にやってきたのです。今までの先輩とちがっていたのは、人としての器の大きさでした。とにかく心が広く、何が起こっても全く動じない人であり、また他人を思いやる心も飛びぬけて大きかったのです。ですから上司、後輩とかかわらず、みんながN先輩のことを信頼し、多くの方が尊敬の念をいだいていました。

そんなN先輩が、なぜか僕のことを気にかけ、ことさらかわいがってくれました。「なんで僕みたいな弱虫で仕事ができない人間をかわいがってくれるのだろう。」と当時は不思議に思っていたのですが、とにかく、かわいがってくれました。


当時は「みんなに心配をかけてはいけない。」と誰にも仕事の悩みは相談せず、勤務中は元気で明るい自分を演じていました。しかし、N先輩にはみすかれていたのです。僕が本当は仕事が思うようにいかずに困っていたことを・・・・。


それがわかったのが、全職員が休みの日のある日曜日。実は僕、よく休日の誰もいない日に、こっそりと職場にやってきて遅れた分の仕事をこなしていました。

その日も朝早くから寮を出て、朝7時くらいに職場へ到着。そしてドアを開けると・・・・。びっくりしました。驚きました。僕の目の前にN先輩が座っていたのです。僕が驚いて「どうしたのですか?N先輩。今日はお休みの日ではなかったんですか?・・・・。」と聞くと、「まあ、座れ。」と僕を落ち着かせてから、「おはよう。山崎(旧姓)。いろいろと悩んでいるのだろう。一人で抱え込むなよ。みんなお前の味方なのだから。お前のがんばりはみんなが認めているのだから。とにかく何でも遠慮せずに話をしてくれ。」と声をかけてくれたのです。それから1時間後、さらに4人の先輩達が次々と職場に応援にかけつけてくれました。

うれしかった。心が「スッ~」と軽くなりました。その時の感謝の気持ちは一生忘れません。


そんな縁から、16年が経とうとしています。結局、私は新しい道を見つけ出し、大阪の会社を辞めたのですが、今でもN先輩との絆はかわりありません。N先輩との出会いは、私にとって何事にも変えがたい大きな大きな宝物です。

                                     渡部