発達障害の人たちから学ぶべきこと

発達障害者に関する本を何冊か読んでいるうちに、また、前々々回の吉田さんのブログを読んでいて、僕なりに気づいたことがあります。それは、もしかしたら、発達障害の人たちが、この荒んだ世の中を変えてくれる大切な存在(教え)なのではないかと言うことを。


発達障害の人たちは、世の中の価値基準でいえば、大多数の人が「わがままな人」と受け入れられない状況にあると考えます。

僕自身、この仕事に就いていなければ、同じく理解できなかったかもしれません。


発達障害当事者と世の中の価値基準に洗脳されている僕たちとの差はあまりにも大きく、その差から生まれる不安感、困った感は想像を絶するものと思われます。しかし、彼らや彼女たちは、それでもこの世の中で生きていかなければいけません。その為に、必死で努力をし、「僕が何を悪いことをしたのだろう。なぜ、怒られるのだろう。」と理解に苦しみながらも、私たちの価値基準に合わせようとして生きぬいているのです。たいへんな忍耐力が必要だと思います。その人たちの苦しさに比べれば、私たちの日常における悩みや不安はちっぽけなもののように感じられます。


そのような状況にも関わらず、眉間にしわを寄せて、怒ってばかりの僕にでさえ、やさしい声をかけてくれたり、元気を与えてくれる発達障害の人たちに、心から感謝したいと思います。本当にありがたいことです。


発達障害の人々に世の中の価値基準を合わせてみたら、本当の幸福感をより多くの人々が得られるのではないでしょうか?

それでは発達障害者が幸せになる具体的な支援とはどういうものか?考えてみたいと思います。


まずは「誉める」、「苦手な分野には適切な支援ツールを使うこと」。「見通し(目標)を待たせること」の3つが代表的な支援方法だと僕は思っています。

よく考えてみてください。この3つのすべてが、実は僕たちも含め、多くの人間が求めている支援のような気がします。

「なんだ、誰にでもできる支援じゃないか。」と思われる人もいるのでしょうが、この当たり前の支援が、実は近年、僕も含めたほとんどの大人たちが出来ていないように思われます。


以前のプログでも書いたように、「江戸時代の子どもたちは、本当に子どもらしい子どもでのびのびと元気いっぱいに育っていた。感情豊かで、愛くるしい子どもであった。」と多くの外国人の残したレポートに残されています。また、「当時は、体罰というものは、ほとんど存在せず、また感情的に叱ることなどあまりなかった。」とも書き残されています。

ただ勘違いしないでほしいのは、ただあまやかしているというわけではなく、人として生きるための重要な指針が当時はあったということです。それが武士道精神を謳った人生訓示だというのです。それを目標として、清廉潔白に生きてきた子どもたち。それを高い目標にしてきたと思われます。それでは、当時の支援ツールに該当するものは何だったのでしょうか?

それは藩という1つの国全体で、また地域の人たちがみんなで、子どもたちの教育にたずさわったという事実が=支援ツールと考えられるのかもしれません。


大阪市立松虫中学校在任中に陸上部の個人種目で13回の日本一を輩出した伝説の元教員である原田隆史氏もまた、「失敗体験から多くのことを学び、子どもたちの成長の原動力になるというのは幻想であり、成功体験からのみ、自信がうまれ、成長への大きな活力となる。それを自分は実際、この目で見てきた。」と言っています。

これからも、「誉める」という重要性がよみとれるはずです。

ただ、「誉める」状況をつくるためには、本人の高い目標に向けた努力する姿勢が必要であるとも原田氏は言っています。つまり、(見通し=目標をまたせること)の必要性を言っているのでしょう。

また、そのためには、指導者や家族、地域の人たちの支援が必要であるとも言っています。

具体的に言うと、「目標設定用紙という支援ツールを準備し、与えることで、高い目標をもたせたのだ。」と彼は言っています。


この3つが、先ほどにも説明したように、発達障害者が幸せになるための重要な3大支援に該当すると思われます。


これらからも、より多くの人々が幸せになるキーワードが、発達障害の人たちの存在にあると思います。

彼たちや彼女たちが不安なく、より自信をもって生きていく世の中=みんなが本心から求めている世の中 だと言えるのではないでしょうか?

                                      渡部