自分研究

自分の趣味の一つに、自分研究があります。自分研究とは、1.本当の自分を見つけること 2.理想とする自分を見つけること そして3.理想とする自分に近づく方法を考えること の3つの振り返り作業のことです。この時間が自分にとって大切な時間となっています。

最近では至福に感じるぐらいなくてはならない時間となりました。

しかし、毎日のように行っている自分研究でさえも、なかなか本当の自分を知るのには、まだまだ時間がかかりそうです。


結婚する以前、自分は「欲のない人間」と真剣に信じていました。その当時の自分にとって、一番大切にしていたことは、「自分の力でまわりの人がより幸せな気分になること」であり、「それが僕の最高の幸せであり使命である。」と思っていました。その力とは、今振り返れば、自虐的な笑いであったり、奢ることであったり、または、恋愛応援団になったりという、自己犠牲精神によるものだったのです。ただ、当時は、本当に心の底から「それが自分の存在価値だ。それでみんなが幸せになれる。自分に物欲がなくて本当によかった。」と我慢している感覚がなかったのです。

しかし、結婚してみてわかりました。自分は普通以上に物欲の強い自己中心の人間なんだと言うことが・・・。


例えば、こんなことがありました。ケンタッキーを子どもに買ったときのこと。「巴菜、哲平、好きなだけケンタッキーとっていいよ。」と自分で言ったのにもかかわらず、残ったケンタッキーが一つだけ、しかも小さいことに気がつくと、「このやろ~。」と怒りが込みあげてしまい、急に不機嫌になったりした事件や、子どもがなかなか寝付かないことに対してイライラしている奥さんに「そんなに怒ったら眠れるわけないだろう。俺が代わるから、お前は風呂にでもいってこい!」と威勢のいいことをいいながらも、10分、20分経ち、あと数分で自分の見たいテレビ番組が始まるというあせりから、またもや急に「早く寝ろ!いったい何時だと思ってんだ~。」と怒りだす事件等、数えあげたらきりがありません。奥さんと喧嘩したイライラから、何も悪くない子どもたちに向かって「やかまし~。」と大声で怒鳴ったりということもありました。手をあげたことも多々あります。とんでもない親父です。僕だったら、こんな親父は絶対に嫌いになると思います。この件により、「あら~。俺の本性は、欲深い、自己中心人間だったんだ~。」と気づかされました。

ただ、それがショックというわけではなく、不思議と気持ちが楽になり、反対に笑えました。

家族をもったことで、本当の自分に巡り合えたのです。結果は燦々たるものですが、今ではそのキッカケを作ってくれた家族に感謝しています。


僕の新たなる生きる目標ができました。それは、欲深く、器の小さな自分を認めながらも、欲以上の喜びとして、何かの縁で知り合った一人でも多くの人たちに、笑いと自信をあたえ、幸せな気分を与えられる存在になることです。本気でそう考えていると信じたいです。もし、それが自分の本心ならば・・・。もしかしたら、ただの理想なのかもしれません。そんな心の広い人間になりたいという僕の願望なのかも・・・。う~ん、わけがわからなくなりました。自分研究はまだまだ続きそうです。

                                                                   渡部