川崎のおばちゃん、おじちゃん

 川崎のおじちゃんおばちゃんおおきくなりました

今週の6日長男が生まれてからお世話になったおじちゃん、おばちゃんが川崎からあいにきてくれました。

 私は名古屋の短大を卒業し、川崎市保育所に就職しました。

結婚し、長男がうまれました。

保母としてはたらきつづけることをかんがえていました。

 当時、産休は、産前産後8週間でした。

現在のように一年間の育児休暇はありません。

当時働く母親がふえてきました。

『ポストの数ほど保育所を』

働く母親が安心してはたらけるようにとの願いがおおきな運動になっていました。

 革新市政であった川崎市そんな運動のなかで保育所がたくさんできていました。

『二重保育』しっていますか?

 子供が生まれ、保育園に入所がきまっても、働き続けるには子供のおくりむかえ、病気になったときに面倒を見てもらえる人がかならず必要でした。

 長男は3週間はやくうまれたこともあり、とっても身体がよわい子でした。

保育園にいくようになってもすぐ熱をだし呼び出されました。

3日保育園にいくことができても、熱が出て1週間のおやすみ。

 私もそんなにおやすみをとることができません

保育所ができてもはたらく条件はまだまだととのっていませんでした。

そんな時、先輩の保母さんからおばちゃんを紹介してもらいました。

 お兄ちゃんが2人いまし。3番目の我子のようにかわいがってもらいました。

 熱がでて保育園から呼び出された時もすぐむかえにいって、病院につれていってくれました。

 私が保育園をやめ川崎から松江にくるまで1年半、本当によくしてしてもらいました。


 32年ぶりの再会になりました。

地ビール館でのまちあわせましたが、すぐおたがいにわかりました。

 昔とおなじようにはなすことができ、あっとゆうまの1時間半。

なつかしく、たのしい時間でした。

おばちゃん、おじちゃん66歳だそうです。

「元気でまた会おう」と約束しました。


 原田さん家の『なおちゃん』がはいる予定だった無認可保育所が人数があつまらず開設されなくなったそうです。

 このため、『なおちゃんのママ』は看護士として復職できなくなってしまったそうです。

 

 私たちが苦労したはたらく母親の『子育て』まだまだつづいているのですね。

 この少子化の時代です。

安心して子供を生み、子育てができる社会を保障しなければいけないのではないでしょうか。

 怒ることがおおくなっている 仁宮です。

※つわぶき